当サイトは『Novella 文芸』の姉妹サイトです。『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』を中心に、ドストエフスキーの作品を読み解くコラムを掲載しています。翻訳者・江川卓(原卓也先生も含む)の推し活も兼ねています。冗長・難解・まわりくどいで知られるドストエフスキーの名作を少しでも身近に感じて頂けたら嬉しいです。
ドストエフスキーが伝えたかったこと~ 21世紀も蛮行は続く
【アウシュヴィッツは過去の蛮行ではない】 私も2002年~2004年にかけて、アウシュヴィッツ・ビルケナウ国立戦争博物館を訪れた時は、何と恐ろしいことが行われていたの...『カラマーゾフの兄弟』江川卓訳をお探しの方へ(原卓也訳との比較あり)
絶版になって久しい江川卓訳『世界文学全集(集英社)』のカラマーゾフの兄弟を抜粋と写真で紹介。現代的で読みやすい訳文です。原卓也訳との比較も掲載。2021年はドストエフスキーの生誕200年のアニバーサリーイヤーにつき文庫化の可能性もあり。興味のある方は復刊リクエストにご協力下さい。【44】 『ガラリヤのカナ』とアリョーシャの覚醒 ~大人になるということ
ゾシマ長老の遺体の『腐臭』とフェラポント神父の揶揄に衝撃を受けたアリョーシャは、自暴自棄的にラキーチンの誘いに乗り、淫婦グルーシェンカの住まいに行きます。 グ...【43】 一本のねぎと『蜘蛛の糸』 一筋の救いも利己心で切れる
ゾシマ長老の死後、奇跡が起きないどころか、フェラポント神父らに貶められたことで、アリョーシャは大きなショックを受けます。 そこにタイミングよくラキーチンが現わ...【42】 悪魔は心の隙間に忍び寄る ~ラキーチンの妬みと誘惑
ゾシマ長老の遺体が腐り、批判的な神父らから貶められたことで、アリョーシャはショックを受ける。そこにラキーチンがやって来て、堕落的な飲食をすすめ、グルーシェンカの住まいに連れて行こうとする。アリョーシャの信仰が揺らぐ節目となるパート。【41】 フェラポント神父とロシア民の未来 ~『腐臭』は何を意味するのか
ゾシマ長老の遺体から腐臭が漂うと、奇跡を期待していた人々は失望し、誹謗中傷を始める。そこにフェラポント神父がやって来て「悪霊退散」とわめき、一部は感化されて「この人こそ聖人だ」と付き従う。アリョーシャもまた激しく動揺するがパイーシイ神父は彼が戻ってくることを信じる。腐臭に込められた意味と合わせて。【40-6】 ゾシマ長老の死 ~床(пол)と大地(земле)に関する考察 ~翻訳は分かりやすければそれでいいのか
ゾシマ長老が死の直前、「静かに床にすべりおり、ぞの場にひざまずき、顔を地にすりつけるようにしながら、両手をひろげ、歓喜に酔いしれたような様子で、祈りながら大地に口づけた」という描写に関する考察と新訳ブームの是非について。【40-5】地獄とはもはや愛することができないという苦悩
ゾシマ長老最後の訓諭「地獄とはもはや愛することができないという苦悩」であり、愛は生きているうちにしか実践できないという喩え。ドストエフスキーの願いとその後のロマノフ王朝滅亡、ソ連崩壊は誰のせいであったかというコラムと併せて。罪の意識と良心の罰はいかに育まれるか ~新興宗教団体の犯罪から考察
学生時代、繁華街から帰ってきた同級生が「駅前で面白いものを配ってたよ」と一冊のパンフレットを見せてくれました。 ページを開いてみると、 「君には人生の目的があ...【40-4】 たとえ一人になっても、たゆみなく努めよ ~人を裁くなかれ
ゾシマ長老、最後の訓諭より。『人は同胞の裁き人となりうるか? 最後までの信仰について』では、人を裁かず、たとえ周囲に理解されなくても、たゆむことなく努める大切さが綴られている。