幻の続編とドストエフスキーの主眼
『『カラマーゾフの兄弟』の読み方 / 長大な皇帝暗殺物語の序章として ~良質な翻訳で理解度も変わる』に関連する話題です。
前述の記事でも言及しているように、多くの読者が、冗長なエピソードで挫折してしまうのは、我々の知っている『カラマーゾフの兄弟』が、長大な皇帝暗殺物語のほんの序章に過ぎない、ということを忘れてしまっているからですね。
喩えるなら、映画『ロード・オブ・ザ・リング』三部作の『第一話・旅の仲間』だけ見て、分かったような、分からないような、中途半端な印象に終わるのと同じです。
父親殺しとは無関係な「少年たち(イリューシャ、コーリャ、犬のエピソードなど)」、やたら長いゾシマ長老の告白、未来の妻となるリーズと母ホフラコワ夫人の細かな描写、等々。一体、これがカラマーゾフ三兄弟の不幸とどう繋がるのか、明確に分かる人の方が少数と思います。
わけても違和感を覚えるのは、少年たちのエピソードでしょう。本作のテーマは、ドミートリイの父親殺しなのだから、その経緯と裁判の模様だけ描いてくれたらいいのに、なぜこうも執拗に少年たちのエピソードが差し込まれるのか、イライラする人も少なくないはずです。
しかし、我々が「カラマーゾフの兄弟」と呼んでいるのが、長大な皇帝暗殺物語の序章に過ぎないと分かれば、全てに納得がいくのではないでしょうか。
ドストエフスキーは、肝心な≪本編≫を書き上げる前に亡くなってしまいました。メモも草稿も残さず、あの世に旅立ってしまったので、本作も未消化のままです。後世の読者も、専門家も、続きを推測することしかできず、いわば、『カラマーゾフの兄弟』自体が、巨大なミステリーになってしまったんですね。
この点について、詳しく言及されているのが、ロシア文学者の江川卓氏です。
現在も刊行されている『謎とき『カラマーゾフの兄弟』 (新潮選書) 』よりも早く出版された『ドストエフスキー (岩波新書 評伝選) 』の、「予告された皇帝暗殺」の章で、その根拠を次のように解説しています。
- 時系列のおかしさ - 序文「作者より」の「いま現在の時点」とは
- 「13」が意味するもの - キリスト教的に不吉な数
- 一家の父とロシアの父 -フョードル殺しは皇帝殺しの前日譚
- 少年たちの爆弾ごっこ -実際にあった皇帝暗殺未遂事件
- 「カラマーゾフ」の名前の由来 -イエスの贖罪とアリョーシャの運命
1. 時系列のおかしさ
本作の最大の特徴は、「わが主人公、アレクセイ・フョードロヴィチ・カラマーゾフの一代記」について書き綴る「語り部」が存在することです。
序章の「作者」とは、ドストエフスキーの事ではないし、アリョーシャ(アレクセイ・カラマーゾフ)の事ではありません。ジャーナリストか、伝記作家かは分からないけども、「私」という語り部(書き手)が、アレクセイ・フョードロヴィチ・カラマーゾフの生涯と「ある事件(フョードル殺しではない)」を振り返って、カラマーゾフ一家にまつわる長大な物語を書き始めます。
その構成は、「第一の小説」と「第二の小説」に大分され、第一の小説が、いわゆる『カラマーゾフの兄弟』、フョードル殺しのパートに相当します。
本来なら、ドミートリイの裁判、イリューシャの死の後、「第二の小説」に突入するはずだったのですが、そこでテンションが上がりすぎたのか、ドストエフスキーは「第一の小説」を書き上げた二ヶ月後に急逝します。(1880年11月、連載中の『カラマーゾフの兄弟』完結。1881年1月28日、永眠)
つまり、ドストエフスキーが本当に書きたかったであろう≪本編≫、「第二の小説」は未完に終わっているため、その先の展開も不明なら、「語り部」の立ち位置も不明瞭なままなんですね。
江川氏いわく、
『カラマーゾフの兄弟』には、「作者より」と題された実に奇妙なまえがきがついている。そこでは、「ゼロの語り手」の分身とおぼしき「私」が、二部作となる予定の小説の時間関係について、次のように述べている。
「中心になるのは第二の小説で――これは、わが主人公の現代における、つまり、いま現在の時点における活動を扱っている。第一の小説のほうは、もう十三年も前の出来事で、ほとんど小説といえるほどのものでもなく、わが主人公の青春期の一モメントであるにすぎない」(傍引用者)
この文章の奇妙さは、「いま現在の時点」などと、一見きわめて厳密に規定されている「現在」の時間が、実はいつのことかはっきりしないという点にある。≪中略≫
おかしな話になったが、私は、この矛盾を解決する道は、語り手の言う「いま現在の時点」を、連載開始の一八七九年一月にではなく、「第二の小説」の書かれる時点、つまり当面は「不定の時間」に移動させる以外にないと考える。八〇年十一月に「第一の小説」の連載を終えたドストエフスキーは、一年間の休養をはさんで、一八八二年に『カラマーゾフ』の続編にかかる心づもりであった。仮にそこを起点にすれば、「第一の小説」の時間は、1882―13で、一八六九年となり、ミーチャの年齢についても、裁判についても、ほぼ矛盾は解決することになる。つまりドストエフスキーは、その最後の小説で、すでに述べたように、アリョーシャについて時間を倒置させただけでなく、さらに近未来を現在に置きかえるという、前人未踏の時間実験を試みたわけなのである。
ちなみに、本作の序章にあたる『作者より』では、次のように言及されています。
ところが困ったことに、私の場合、一代記のほうはもともと一つなのに、小説は二つになっているのである。中心になるのは第二の小説で――これは、わが主人公の現代における、つまり、いま現在の時点における活動を扱っている。第一の小説のほうは、もう十三年も前の出来事で、ほとんど小説といえるほどのものでもなく、わが主人公の青春期のほんの一モメントを描いているにすぎない。ところが、この第一の小説を抜きにすると、第二の小説にわからないところがたくさん出てくるので、これはできない相談である。さて、そういうわけで、私の当初の困難はますます厄介なものになってくる。
だいたい当の伝記作者である私自身が、あまりぱっとしたところもなく、いっこうにつかまえどころもないこんな主人公のためには、一編の小説だけでも余分なくらいだと考えているのに、それをぬけぬけと三編も仕立てるのはいかがなものかと思われるし、だいいち私のこれほどの思いあがりをどう説明したものだろう?『カラマーゾフの兄弟』(世界文学全集・集英社)
2. 『13』が意味するもの
『『カラマーゾフの兄弟』の読み方 / 長大な皇帝暗殺物語の序章として』の章立てでも紹介していますが、『カラマーゾフの兄弟』(第一の小説)の章立ては12章からなります。
となると、「第二の小説」は13章からスタートするわけで、これがキリスト教的に不吉な数であることは周知です。
ドストエフスキーの暗号好きは、江川氏の『謎ときシリーズ』でも繰り返し述べられていますが、『カラマーゾフの兄弟』でも、数の暗号や、ダ・ヴィンチ・コードのようなシンボルが随所に散りばめられ、特に強調されているのが、『13』だそうです。
『カラマーゾフ』では、ことさら十三という数が多用される。まず全体の章建てが、十二編+エピローグで、十三に関係づけられている。『罪と罰』のときと同じ手法だ。エピローグの最後で、イリューシャの葬儀に集まる子供たちの数も、「十二人ほど」である。アリョーシャを含めれば十三人、つまり、「最後の晩餐」に連なった十二使徒とイエスの数にぴたり一致する。となれば、「作者より」に出てくる「十三年も前」、さらには、第一編の冒頭でもう一度くり返される「いまからちょうど十三年前」という表現は、このようなコンテキストの中で理解しなければならなくなるだろう。つまり、この「十三年」は、現実的な数、時間というよりも、むしろ神話的、象徴的な数、時間なのである。
3. 一家の父とロシアの父
「第一の小説」と「第二の小説」の連続性を見れば、一家の父殺し=フョードル殺しが、「第二の小説」ではロシアの父である皇帝殺しに繋がることは容易に想像がつきます。
序文となる『作者より』でも、アレクセイ・フョードロヴィチ・カラマーゾフが「明確さを欠いた活動家」であると、はっきり言及されているように、下層民の窮乏に心を痛めたアリョーシャが、コーリャをはじめとする少年たちの精神的指導者となり、反体制的のアクションを起こしたとしても不思議はありません。実際、料亭『みやこ』の場面で、将軍の犬に八つ裂きにされた少年の話を聞かされた時、「銃殺にすべきです!」と答えて、イワンを喜ばせた経緯を見れば、「皇帝殺しもやむなし」という考えに至ったとしても、不思議はないのではないでしょうか。
その点、江川氏は次のように述べています。
晩年の『作家の日記』には、ロシアの民衆は「皇帝の赤子」であり、「皇帝は彼らの父である」という思想が明確に語られる。そのことがわからぬ者は、「ロシアにおいて何ひとつ理解するところのない者である」(一八八一年一月号)とまで断言されている。となれば、「第一の小説」の「一家の父」殺しの主題が、「第二の小説」においては、「ロシアの父」、すなわち皇帝殺しの主題に発展するのが、いちばん自然ではないだろうか。
≪中略≫
ドストエフスキーがそのような構想を抱いていたらしいことは、何人かの回想によっても裏づけられる。しかし何より重要なのは、二部構成の小説の内的な展開の論理だろう。むろん、アリョーシャが実行行為者となるかどうかには、まだ疑問がある。しかし彼には、十二使徒がわりに「十二人ほど」の子供たちがついている。彼らも十三年後には二十歳台になっているだろう。とりわけ、小生意気な「社会主義者」コーリャ・クラソートキンは、二十六、七歳のはずである。アリョーシャが思想的「指(し)嗾(そう)者」、クラソートキンが「実行行為者」となれば、『カラマーゾフ』でのイワンとスメルジャコフの関係が、より大きな規模でくり返されることにもなるではないか。
もっとも、アリョーシャが12人の少年を使って、「殺せ」と命じたとは考えにくいですが、アリョーシャの秘めた願望をコーリャが感じ取って、先走り、実行に失敗した後、アリョーシャが首謀者として捉えられる展開は十分にあり得ます。これは、イワンの秘めた願望をスメルジャコフが感じ取り、「あなたに代わってフョードル殺しを実行した」の繰り返しですね。
また、アリョーシャと12人の少年の繋がりを一番に嗅ぎつけたのは、盗み見と立ち聞きが大好きなリーズとホフラコワ夫人に相違ありません。喋りのホフラコワ夫人は、不用心に野心家のラキーチンに相談を持ちかけ(何か企んでいるみたいで、心配だわ~みたいな)、勘のいいラキーチンが探りを入れて、計画が露呈する――といったところでしょう。その際、直接的な裏切り者になるのが、「トロイの建設者は誰か」をめぐって、コーリャと不協和音が生じたカルタショフ君(無ロな、おそろしくはにかみ屋の、たいそう愛らしい顔だちをした、十一歳くらいの少年)ではないか、という話です。
そして、「第一の小説」で、ドミートリイが無実にもかかわらず、有罪判決を受け入れたように、アリョーシャも、「直接の指令者」ではないにもかかわらず、少年たちや民衆の心を思って、皇帝殺しの大罪を引き受ける未来も容易に想像がつきます。唯一の救いは、アリョーシャが二人の兄にそうしたように、今度は二人の兄がアリョーシャを助けようと尽力する点でしょう(多分)。
ともあれ、非常にドラマティックな物語が描かれる予定でした。
なぜ死んだ、ドストエフスキー……
4. 少年たちの爆弾ごっこ
さらに、「第一の小説」には、少年たちが爆弾ごっこをしていた経緯が描かれています。
江川氏いわく、
冬宮でのダイナマイト事件が契機になったのか、ドストエフスキーは未来の「皇帝暗殺団」員の少年時代の遊びに、「爆薬ごっこ」を選びさえした。イリューシャの病気見舞いに、コーリャ・クラソートキンが玩具の大砲と手製の火薬を持参するエピソードは、この意味で注目に値する。「硝石24、硫黄10、白樺炭6の割合で、それをいっしょにすり潰し、水でこねて、裏ごしにかける」――小説には「球根栽培法」まがいのこんな火薬製造法まで紹介されている。しかも少年たちは、きそって火薬づくりにはげんでいた。
その根拠として、江川氏は次のように解説します。
ロシアのナロードニキは、「人民の中へ」という自分たちの運動の不毛性を感じて、七十年代後半からテロリズム的傾向を強めはじめていた。七九年四月には、ソロヴィヨフの皇帝狙撃事件も起きている。とりわけ、「土地と自由」派の分裂によって生れた「人民の意志」派は、七九年八月に皇帝アレクサンドル二世に死刑を宣告し、以後、数次にわたって暗殺計画を実行に移した。八〇年二月には、皇帝の居所である冬宮の内部で、数十キロのダイナマイトが爆発する事件まで起った。これらがすべて、『カラマーゾフ』執筆中の出来事であることを見逃すべきではあるまい。現実の状況は、すでに「ロシアの父」殺しを日程に上せていたのである。
多くの読者を迷わせる『少年たち』のエピソードがこれほど示唆に富んでいたことを考えると、もう一度、じっくり読み返したくなるでしょう。
一見、フョードル殺しと何の関わりもない話に見えますが、実は、「第二の小説」の布石になっていたんですね。ドストエフスキーが長生きして、「第二の小説」も完結していれば、後世の読者もきっと納得したはずです。
5. 「カラマーゾフ」の名前の由来 -イエスの贖罪とアリョーシャの運命
アレクセイ・フョードロヴィチ・カラマーゾフの運命は、すでに命名に現われていると江川氏は指摘します。
ことは、もう自然の勢いだろう。命名法から見ても、「カラマーゾフ」という姓は、カラコーゾフとの酷似などという次元をはるかに越えた含意を持っている。しかもそのことを、ドストエフスキーは作中で自分から種あかしして見せている。イリューシャの家をアリョーシャが初めて訪れたとき、スネギリョフ二等大尉の精神薄弱気味の「お母ちゃん」が、「カラマーゾフ」を「黒(チェルノ)マーゾフ」と言いちがえるのが、その一つだ。「カラ」は、チュルク語で「黒」を意味する。「マーゾフ」が、ロシア語で「塗る」を意味することも作中で字解きされている。
≪中略≫
しかしエピローグの最後、「石の傍らでの演説」で、アリョーシャが少年たちに向って、イリューシャの「美しい記憶を未来永遠にわたってぼくらの心の中に持ちつづけましょう!」と訴えるのは、もう冗談でもなんでもない。二十世紀初頭、ヴャチェスラフ・イワノフは、「一人ひとりが生きたイリューシャの存在を、自分自身と不可分のものとして自身のうちに納め入れる」という言葉で、これをドストエフスキーが発見した「新しい組織原理」であると論じた。この「組織原理」によって結ばれたアリョーシャと「十二使徒」が、爆弾による皇帝暗殺を実行するはずだったのである。
さらにひとつ、「黒を塗られた者」というイメージが、キリストの原義である「油を塗られた者(メシア)」との連想を誘うことも無視できない。アリョーシャ・カラマーゾフは、命名法から見ても「黒いキリスト」になぞらえられていたのである。
物語前半の、執拗なまでの「信仰か、現実か」の問答を見れば、「第二の小説」では、今度はアリョーシャがイワンのように葛藤することは容易に想像がつきます。最初、アリョーシャは、信仰心の篤い、天使のような青年として登場しますが、33歳にもなって、お花畑じゃあるまいし、下層民の困窮を目の当たりにすれば、信仰も揺らぎ、イワンのようになっていくのが自然ではないでしょうか。
イワンの場合、あまりにも純粋かつ生真面目で、最後は気が触れたようになってしまいましたが、アリョーシャは現実にするりと馴染む『鈍感力』があるので、イワンのようにはなりません。信仰心を持ちながらも、リアリストなので、アクションの必要性も理解しています。最後も潔く、裁判でもあれこれ弁明せず、全部、自分が背負う覚悟で、死に臨むのではないでしょうか。
参考→ 【4】 幸福に必要な鈍感力・アリョーシャ ~鋭い知性はむしろ人間を不幸にする
「第二の小説」を仕上げるのに、どれくらいの年月がかかったかは分かりませんが、第一の小説と同じ、約2年とするならば、実際に起きたアレクサンドルⅡ世の暗殺(1881年3月1日)をリアルに体験したでしょうし、1904年まで生きていれば日露戦争を体験し(83歳)、もっと長生きして、1917年まで生きていれば(96歳)、二月革命とロマノフ王朝の崩壊を目の当たりにしたわけですから、当時の空気を色濃く反映して、非常にリアルな物語になったのではないでしょうか。
歴史において、「いつから、いつまで」は意味がなく、戦争も、大不況も、いつ頃からか始まり、波が最高潮に達した時に、歴史的イベントが発生するものと思います。
そのあたり、ドストエフスキーは人一倍、嗅覚が鋭かったのかもしれません。
*
このパートは『【序文】ドストエフスキーの全てが凝縮した『カラマーゾフの兄弟』~作者より』でも紹介しています。

【まとめ】 屠られた父親と下層民の怨念
「第二の小説」の筋書きがどうあれ、本作が象徴的な『父親殺し』をテーマにしているのは疑いなく、「第一の小説」でその標的となるフョードル・パーヴロヴィチ・カラマーゾフは、さしずめ「屠られた子羊」というイメージです。
確かに、ろくでもない淫蕩オヤジで、二人の妻と三人の息子への非道い仕打ちを見れば、万死に値するかもしれませんが、一方で、フョードルがなかなかバランスのよい社会感覚を持ちあわせ、高度な知性も有しているのは疑いようがなく、そうでなければ、イワンもアリョーシャも父親に寄り付いたりしません。ドミートリイでさえ、心の底では、父親に対する孝心を抱いているのですから、冷酷な極悪人でないのは確かです。
そう考えると、フョードルもまた罪無き犠牲者で、殺されなければならない理由など、どこにもありません。
同じことは、(作中の)皇帝にも言えるでしょう。
確かに、民衆は、スメルジャコフのように虐げられ、貧窮に喘いでいますが、だからといって、命を奪っていい理由はどこにもありません。
江川氏いわく、
スメルジャコフが父フョードルから奪い取った3000ルーブルを「共犯者」としてイワンに突きつけた時、イワンは激しく動揺するが、スメルジャコフは「あの時分はたいそう大胆でいらっしゃったじゃありませんか。『すべては許される』などとおっしゃって。ところがどうです、いまのそのびくつきようは!」と嘲弄する。(スメルジャコフはイワンの秘めた願望を汲み取って、フョードル殺しを決行した)
それまで無力と思われていた底辺のスメルジャコフが無敵の人となり、イワンのような富裕な知識人を圧倒する場面は、来るべきロシア革命において、知識人と民衆の関係が逆転することを示唆する――とした上で、
1905年、日露戦争の敗北と第一次革命の波がロシアを襲ったとき、象徴派の詩人メレンジコフスキーは、やがてロシアとヨーロッパが、「王冠を抱いた下僕スメルジャコフ、勝ちほこる下司(ハム)」によって制服されるだろうと論じた。「ハム」とは、旧約聖書のノアの不敬な息子に由来する侮蔑語であり、イワンもこの言葉をスメルジャコフに対して用いていた。なるほどメレンジコフスキーが直接に「スメルジャコフ」と名指ししたのは「日本人」であった。
しかしそれが、1905年の革命でふいに街頭に目立つようになったストライキやデモの参加者たち、恐ろしげな顔で地主の穀倉を襲う農民たち、ユダヤ人虐殺の中で物欲のとりこぶりを見せつける小市民たちとダブル・イメージでとらえられていたことは、ほとんど疑いがない。それを「ハム」と呼ぼうと、「ならず者」、「肉弾」、「スメルジャコフ」と呼ぼうと、その実体は変わるまい。十三年後にゴーリキーが感ずる危機感と同じものを、メレジコフスキーもまた感じていたのである。
ナロードニキ運動の必然的な挫折の後、その担い手であった知識人たちによって「啓蒙」された民衆が、「臆病者」の本性をあらわにした知識人を乗り越えて、やがて「下司(ハム)・スメルジャコフの王国」の実現へ向かう。よもやロシア革命のその後の歩みをこんなふうに概括することはできまい。しかしドストエフスキーの最後の長編には、そんなロシア史の皮肉への洞察も語られていたようである。
つまり、フョードル殺し以前は、イワンやアリョーシャのような貴族が貧しい民衆の上に立ち、導く構図であったが、民衆の不満が爆発し、革命が起きれば、イワンやアリョーシャのような富裕なインテリは、虐げられた民衆の怨念(ルサンチマン)によって一掃される、という喩えです。
そして、民衆が団結するには、共通の敵が必要です。
「第一の小説」においては、淫蕩父フョードル、「第二の小説」においては、(創作上の)皇帝、です。
確かに、彼らは民衆を(スメルジャコフのように)虐げたかもしれませんが、だからといって、殺されなければならない理由はどこにもありません。
それゆえ、彼らもまた犠牲者であり、屠られた子羊なんですね。
皇帝暗殺編において、アリョーシャがどのような役回りを果たしたかは分かりません。
もしかしたら、先走るコーリャたちを諫める側だったかもしれません。
いずれにせよ、時代の大きなうねりの中で、最後までゾシマ長老の教え=信仰心に従ったのは確かで、今度はイエス・キリストがアリョーシャの唇にキスする番だったのではないでしょうか。(大審問官においては、アリョーシャがイワンにキスする)
獄中のアリョーシャを救いだそうとする、二人の兄たちの奮闘も見たかったですね。
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『ドストエフスキー (岩波新書 評伝選) 』は、現在、廃刊になっています。
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