江川卓による注解
風呂場のじめじめからわいて出た
グリゴーリイが、スメルジャコフの陰湿な性格を「お前は人間じゃないぞ、風呂場のじめじめからわいて出たんだ」と揶揄する。
スマラグドフの『万国史』
去勢者
フョードルがスメルジャコフを料理人に仕立てるために、モスクワへ修業にやるが、数年後に戻って来た時には、めっきり老けこんで、去勢者みたいな容貌になっていた。
ドストエフスキーは自身が編集していた雑誌「エホーハ」の一八六五年一月号に去勢はの実施に関するカラトゥーゾフの興味深いエッセイを掲載しているが、そこでも去勢者たちの顔は「熱病でもわずらったような、痩(や)せて黄色っぽい顔」と形容されている。このエッセイはスメルジャコフの性格を理解するうえにきわめて示唆に富んだ事実を数多く含んでいる。
たとえば、去勢派使徒は「非信徒の肉欲にまみれた手で調理された食物を「不潔な、汚れたもの」として口にしなかったと述べられているが、ここに語られているスメルジャコフの「潔癖性」はそのことを連想させずにおかない。一五七ページ上段にスメルジャコフの得意の料理が「魚肉まんじゅう」と「魚汁(ウハー)」だと述べられていることも、「非信徒が「肉類は肉欲を刺戟するゆえに有害」だとして、もっぱら魚類を食していたことに相応する。160ページ下段で、「嫁をもらったら」というフョードルのすすめに、スメルジャコフが奇妙な反応をすることも注目される。
観照する人
争論
「争論」は、第七章の表題。ロシア兵士の犠牲に関するスメルジャコフとグリゴーリイの応酬の場面。
ロシアの兵士
「遠い辺境地方でアジア人の捕虜になり、キリスト教を捨てて回教に改宗しなければ、即座にむごたらしい死刑に処するぞとおどされたのだが、どうしても改宗を肯(がえ)んぜずに受難の道をえらび、生皮をはがれながらも、キリストの栄光をたたえながら死んでいった」というエピソードの情報源。
臆病な行為
生皮をはがれて処刑されたロシアの兵士に対して、スメルジャコフは「自分の洗礼を否定して、改宗したところで、罪にはならない、むしろ命をながらえて、善行を積んだ方が、臆病な行為の償いになる」と説く。
イエズス会の連中
フョードルが、スメルジャコフの詭弁に対して、「こいつはきっとどこかでイエズス会の連中とつき合っていたんだぞ」と揶揄する。
『カラマーゾフの兄弟』のテーマと関連してとくに注目される教理として、法王インノセント十一世によって非難された次の教理がある。「息子は父親の死への願望を抽象的意図としてもつことを許される。もちろん、それは父親に悪をなすためではなく、遺産が得られるという自分にとっての善のためである」ドストエフスキーはイエズス会へのはげしい嫌悪感を抱いていたようで、そのことはこの作品でも随所に反映している。
なお、イエズス会は十六世紀ごろからロシアでも布教をはじめ、十八世紀末には二百を越える教団組織があったが、1820年に禁圧された。
聖書にもちゃんと言われている
スメルジャコフの弁。「もし人がほんのけし粒ほどの信仰でも持っているならば、この山に向かって、海に移れ、と言えば、山は、その最初の一声とともに、一刻の猶予もなく海に移るだろう」と聖書に書かれているにもかかわらず、実際は、そんな奇跡は起きないことを揶揄して。
まさしくこれこそロシア人じゃないか
スメルジャコフの弁、「山を海に吹きとばせるような人は、ぜったいにだれひとりいるわけがありませんや、まあ、そんな人は世界じゅうにせいぜい一人、多くても二人ぐらいのものでしょうし」という喩えに対して、フョードルが、「山を動かせる人間がとにかく二人はいる、と考えるわけだな? まさしくこれこそロシア人じゃないか」と叫ぶ。