江川卓『カラマーゾフの兄弟』は滋賀県立図書館にあります詳細を見る

    イワンとアリョーシャの兄弟愛 江川卓の『謎とき カラマーゾフの兄弟』より ~桜んぼのジャムのエピソード

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    謎とき『カラマーゾフの兄弟』について

    ロシア文学者・江川卓氏の『謎とき カラマーゾフの兄弟』は、1991年、新潮社より発行された。

    自身の邦訳をベースに、『カラマーゾフの兄弟』に散りばめられた様々なモチーフや執筆の背景を読み解く解説書で、文芸批評とは一線を画した文芸読み物である。

    娯楽といっても、業界裏話や五分で分かるシリーズとは異なり、ロシア好きが泣いて喜ぶウンチクと、「そういう意味だったのか」と膝を打つような読解のヒントが満載で、さしずめ大人の知的遊戯といった趣である。

    江川卓の『謎とき 罪と罰』 ~「罰とは何か」「ラスコーリニコフとソーニャの関係」「心情の美しさ ~文学者に恋をして」でも触れているが、江川氏の最大の魅力は、豊富な知識と鋭い分析力の合間に、温かく、ユーモラスな人柄が感じられる点で、カラマーゾフ家の『性』に関しても、大人の筆致で綴られている点に好感が持てる。

    気合いを入れて読み始めたものの、途中で話を見失い、投げ出してしまった人にもおすすめの一冊である。

    謎とき『カラマーゾフの兄弟』 (新潮選書)
    謎とき『カラマーゾフの兄弟』 (新潮選書)

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    イワンとアリョーシャの兄弟愛

    桜んぼのジャム

    『謎とき カラマーゾフの兄弟』で最も印象的なのが、 『第10章 兄弟愛の表裏』に記された「さくらんぼのジャム」のエピソードだ。

    イワンとアリョーシャの関係は、ドミートリイに対する二人の関係とはだいぶ異なる。「長兄のドミートリイ」とは、彼のほうがあとから来たのに、もう一人の(自分と同腹の)兄イワンとよりも、ずっと早く親密になった。アリョーシャは兄イワンの人となりを知ることに異常な興味を抱いていたが、彼が帰郷してもう二ヶ月にもなり、かなり頻繁に顔も合わせているというのに、いまだにどうしても親しめないでいた」というわけである。それだけに料亭「みやこ」での兄弟の出会いは、ひとつの事件となるに十分だった。

    うまくアリョーシャを呼び込めたことがうれしくてならないらしく、イワンは大声で言う。

    「魚汁(ウハー)か何か注文しようか。おまえだってお茶だけで生きているわけじゃないだろう」

    「魚汁をもらいます。そのあとでお茶も、お腹がぺこぺこなんです」

    「桜んぼのジャムはどうだい? この店には置いてあるぜ。覚えてるかな、おまえ、小さい時分、ポレーノフのところにいたころ、桜んぼのジャムが大好きだったじゃないか」

    「よく覚えてますね。じゃ、桜んぼのジャムももらいます。いまでも好きですよ」

    「ぼくはなんでも覚えているよ、アリョーシャ、おまえが十一の年まではね。ぼくは十五だった。十五と十一、この年の差の兄弟というのは、どうしても友だちになれないものなんだな。ぼくは、おまえが好きだったかどうかも覚えてないくらいさ」

    この会話は、『カラマーゾフの兄弟』でももっとも抒情的な一節だと思う。ここには兄弟の愛情がなんのけれんもなく、きわめて純粋に、みごとに表現されている。私事にわたるが、私は中学の三年生で、はじめて『カラマーゾフの兄弟』を読んだとき、この場面がどこよりも強く印象に残ったことをよく記憶している。とりわけ私は魚汁と桜んぼのジャムが食べたくて仕方がなかったものだ。魚汁は二十年後、ヴォルゴグラードのホテルで食べることができたが、日本のすまし汁と比べても、さっぱりうまくなかった。

    桜んぼのジャムはその翌年、モスクワ郊外の知人の家で自家製のものをご馳走になり、多年の念頭がかなってうれしかったことを覚えている。

    おたくのソウルフード

    好きな作品に登場する料理や食品は、ファンの好奇心をそそるものだ。

    『ベルサイユのばら』に憧れて、パリのカフェで本場ショコラを飲んだり。

    オランダ・ゼーラント州の海沿いのレストランで、オランダ名物のビターバレン(コロッケ)を食したり。

    作中に登場する飲み物や食べ物を、ご当地で味わうのは至上の喜びである。

    江川先生にとっても、『桜んぼのジャム』は中学生の初恋みたいに甘酸っぱい、ソウルフードだったのだろう。

    いつの日か、夢が叶い、遠い異国のご当地で、憧れのソウルフールを口にする時、人は初めて作品を愛することの意味を思い知るのではないだろうか。

    桜んぼのジャムとロシアンティー

    そんな江川先生の真似をして、私も桜んぼのジャムでロシアンティーを作ってみました。

    ポーランドならロシアと同系列のものが日常的に手に入ります。

    ポーランド語で「ジェム ビシニョヴィ」。

    ポーランド語で「wiosna(ヴィオスナ)」は春、「wiśnia(ヴィシニャ)」はチェリーのこと。

    桜んぼのジャムは、ヴィシニャが変化して、ジェム ビシニョヴィ となります。

    ウォッカとブレンドして、桜んぼのジャムを作ります。

    桜んぼのジャム ロシアンティー ドストエフスキー

    桜んぼのジャム。

    桜んぼのジャム ロシアンティー ドストエフスキー

    少量のウォッカを混ぜることで、風味が引き立ちます。

    桜んぼのジャム ロシアンティー ドストエフスキー ウォッカと

    紅茶に添えて頂きます。

    桜んぼのジャム ロシアンティー 紅茶を添えて

    レシピは日本紅茶協会のロシアンティーを参考にしました。

    紅茶にジャムを入れるより、スプーンでなめなめした方が美味しいです。

    ほのかに酸味が利いて、レモン代わりになるのがポイントですね。

    ウォッカはあっても、なくても、美味しいです。

    リキュールや赤ワインで代用してもいいかもしれません。

    イワンとアリョーシャ カラマーゾフの兄弟 大審問官の場面

    桜んぼのジャムのエピソードの後に、有名な『大審問官』のエピソードが続きます。

    参考 大審問官=悪魔の現実論を論破せよ《カラマーゾフ随想》 原卓也訳(10)

    イワンは本当に無神論者なのか?

    ぼくは神を認めないんじゃない。入場券をお返しするだけなんだ

    ちなみに私が好きなイワンの台詞は、「ぼくは神を認めないんじゃない。アリョーシャ、ぼくはただ入場券(天国への)をつつしんで神さまにお返しするだけなんだ」。

    江川先生も「おそらくイワンの長い話の要諦はこの点にある。そして、そのかぎりでは、筋がとおっている」と書いてらっしゃるけど、本当にその通り。

    私は、イワンは無神論者ではなく、諦観した者と受け止めているし、いろんなことを考え抜いた末、冷徹になる気持ちも分かる。

    あまりにも多くのことを感じすぎるが為に、そうなるのだと。

    ぼくは生きたい。だから、論理にさからってでも生きるんだ。たとえぼくが事物の秩序を信じていないとしても、ぼくには春に芽を出すあの粘っこい若葉が貴重なんだ。青い空が貴重なんだ。どうかすると、どこがどうというのじゃなく、ふっと好きになってしまう人間がいるね、そういう人間が貴重なんだ、それから人間が成しとげるある種の偉業もぼくには貴重なんだよ、そんなものは意義は、多分、とうの昔に信じなくなっているくせに、それでもやはり古い記憶の惰性なのかな、思わず心では尊敬の念をもってしまうんだ。

    イワンといえば、無神論者で知られるが、それは半分正解で、半分間違いと思う。

    本当は誰よりも神を理解しているし、愛や正義を信じてもいる。

    もしかしたら、アリョーシャ以上に心が真っ直ぐで、純粋な魂の持主かもしれない。

    だからこそ、現実の不条理や悲惨な出来事に耐えられず、信仰を否定する方に行ってしまったのではないか、と。

    ちなみに、イワンは神を否定するサタンではなく、「信仰は人も社会も救わない」というニヒリスト。

    では、どうすれば人も社会も幸福になれるのか。

    その隙間に入ってきたのが、富の偏在を無くし、賃金や労働環境を見直して、真に公平な社会を実現しよう。教会で神に祈るのではなく、現実的な議論を交わし、マスで行動を起こして、社会体制や政策を変えるのが最短距離ではないか――という近代的な考え方だ。

    そして、それがロシア革命に繋がっていくわけだが、果たして、ドストエフスキーは墓の下で何を思っていることか。

    正義だから、大勢に支持されたのではない。大勢が支持したから、それが正義になったのだ。

    暗殺者としてのアリョーシャの未来

    こうした観点から見れば、幻の続編で、アリョーシャが皇帝暗殺を企てるという仮説にも納得がいく。

    極端な二人の兄(無神論者のイワンと、欲望のドミートリイ)に感化され、父フョードルの殺人事件を経験したアリョーシャが、いつまでも、十九、二十歳の感性のまま、神の義に生きるとも思えないからだ。

    だが、それは決して反逆ではなく、「万人を幸福にする」という自らの信仰に基づく。

    暗殺を決断するまで、アリョーシャもまた大審問官の葛藤を味わっただろうし、そんなアリョーシャの唇にキスをしたのはイワンかもしれない。

    実際、母親の目の前で獰猛な犬に八つ裂きにされる少年と、それを命じた将軍のエピソードについて、アリョーシャは興奮気味に「銃殺にすべきです!」と答えているし、その返事にイワンもほくそ笑み、「ブラボー! おまえがそう言うとなると、こりゃもう! いや、たいしたお坊さまだよ!してみると、おまえの胸のうちにも、ちょっとした悪魔の子どもぐらいはひそんでいるんだね、アリョーシャ・カラマーゾフ君!」と弟の血気を讃える。

    ロシアの惨状を間に辺りにして、アリョーシャが何の行動も起こさず、真面目なお坊さんのままでいるとは、到底思えない。

    本人も自覚しているように、アリョーシャもまたカラマーゾフの一族であり、イワンやドミートリイとも心情的に結ばれた兄弟だからである。

    その血筋が、アリョーシャにも「流血」という究極の道を選ばせても不思議はない。

    ドストエフスキーの頭の中では、アリョーシャこそ、祖国に身を捧げる殉教者に他ならないのだから。

    *

    ちなみに当方は、庭先で、バラの新芽を見つける度、「春に芽を出すあの粘っこい若葉」というイワンの言葉を思い出す。

    江川卓『謎とき カラマーゾフ』より 桜んぼジャムのエピソード。

    ロシアンティーの場面 江川訳 カラマーゾフの兄弟

    さあ、みんなでロシアンティーを飲みながら、ドストエフスキーを読もう!
    誰かにこっそり教えたい 👂
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