江川卓『カラマーゾフの兄弟』は滋賀県立図書館にあります詳細を見る

    江川卓の作品解説『カラマーゾフの兄弟』 / ドストエフスキーとアリョーシャの運命

    ドストエフスキー カラマーゾフの兄弟 江川卓 解説
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    江川卓の『ドストエフスキー解説』

    江川卓・訳『カラマーゾフの兄弟』(世界文学全集・集英社)の上巻巻末には、江川氏によるドストエフスキー解説が収録されています。

    江川氏の解説本といえば、【謎とき『カラマーゾフの兄弟』 (新潮選書) 】と【ドストエフスキー (岩波新書 評伝選) 】が現在入手できる全てですが、集英社版の巻末にも、およそ10ページにわたって、「カラマーゾフの兄弟」を中心とした解説が掲載されています。

    内容的には、上記の2冊と重複しますが、よりコンパクトに読めるので、興味のある方はご一読下さい。

    枠内は当方のコメントです。

    最後の作品 ~ドストエフスキー 突然の死

    『カラマーゾフの兄弟』はドストエフスキーの最後の作品である。この大作を書きあげてわずか八十日後に、作家は世を去っている。脱稿の日(一八八〇年十一月八日)に編集者へ宛(あ)てた手紙には、「あと二十年も生きて書きつづけるつもりです」と書かれていたが、その気負いと願望はむなしくなった。作品の序文に記されていた約束、つまり、十三年後のアリョーシャを主人公に、「いま現在の時点」を舞台にした続編を書くという約束も、ついに果されずに終った。しかし、よく指摘されるように、長編『カラマーゾフの兄弟』はそのような続編なしでも、これだけで充分に独立した完結性をそなえており、それどころか、小説というジャンルで世界文学が到達しえた最高の達成の一つとして、百年近くを経た現在でも、今日的な関心と興奮をもって読みつがれている。

    作者自身にとっても、この小説の完成は、ある意味でそれまでの彼の生涯をしめくくるような意義をもつものであったらしい。「さて、ようやくこれで長編も完成しました! 書くのに三年、載せるのに二年――私にとって意義深い瞬間です」とは、やはり脱稿の日の手紙の一節だが、五十九歳の大作家の口から出た「意義深い瞬間」という言葉には、思わず襟を正させられるような重みを感じないわけにいかない。むろん、間近に迫った死を作家が予感していたはずはないし、むしろその逆なのだろうが、彼の意識下のどこかには、これで、いわば「遺言」として残しても恥ずかしくない「新しい言葉」を発することができたという自信と満足感が動いたのではないだろうか。だとすると、実際には二年半であった執筆の過程を「書くのに三年」という言葉で表現した裏に、「大審問官」の章で彼自身が地上でのキリストの布教期間をやはり「三年」と想定したこととの暗合をさえ読みとりたくなるのである。注解でも指摘したとおり、カラマーゾフの三人兄弟を主人公にしたこの長編では、「三」という数字が明らかに意識的に使われていたし、とりわけエピローグの最終章ではそれが目立っているので、完成直後の手紙に「三年」という言葉を使ったのが偶然とは考えられない。

    『カラマーゾフの兄弟』の読み方 / 長大な皇帝暗殺物語の序章として ~良質な翻訳で理解度も変わる」や「予告された皇帝暗殺と幻の続編 ~江川卓のドストエフスキー解説よりでも繰り返し述べているように、ドストエフスキーもまさか本作(第一の小説)の校了後、急逝するとは夢にも思わなかったでしょう。冒頭の『作者より』を読むと、「さあ、これから人生の金字塔となるような大作を仕上げるぞ!」という並々ならぬ意欲が伝わってくるからです。
    おかげで、作品そのものがミステリーになってしまった、稀有な例です。

    キリストの主題

    ドストエフスキーがこの最後の作品で追求しようとした最大の内面的主題がまさしく「現代のキリスト」であったことは、ほとんど確実であるように思われる。そしてこの主題は、ドストエフスキーが生(しょう)涯(がい)をかけて追求してきたものでもあった。『白痴』のムイシキン公爵がキリストを念頭に置いた人物像であることはよく指摘されるが、そのはるか以前から、キリストはつねに彼の思想と感性の中心に位置しつづけてきた。「キリスト以上に美しく、深く、憐れみあり、聡明で、勇気あり、完全なものは何もありません……たとえだれかが、キリストは真理の外にあると言うものがあろうとも、またほんとうに真理がキリストの外にあろうとも、私は真理とともにあるよりも、キリストとともにとどまることを望むでしょう」シベリアの監獄を出た直後、三十三歳の作家はこう告白した。さらに以前、無神論者のベリンスキーとつき合い、革命家ペトラシェフスキーのサークルに出入りしていたころからも、彼のキリストへの関心はなかなかのものであったらしい。「もしいまキリストが現われたら、彼は社会主義者の運動の先頭に立っていただろう」といった言葉の断片が、その当時の会話から作家の記憶に残っている。自身、フーリエのユートピア社会主義とキリスト教との融合をめざして論を組みたてようとしたこともあった。おそらく、『カラマーゾフの兄弟』の頂点をなす「大審問官」伝説は、この当時の作家の思索の発展であり、作品に描かれたイワンは、二十歳代半ばの作家自身の姿であるのかもしれない。イワンの幻覚――悪魔との対話は、すでに第二作『分身』に予告されているし、「大審問官」の中心思想の一つである「自由の重荷に耐えられぬ弱い人間」のイメージは、二十五歳のときの中編『主婦』に早くも現われている。

    ≪中略≫

    ところで、これらのプランは、それにつづいて書かれた『悪霊』や『未成年』などの長編にも部分的に活用されることになるのだが、これらの作品では、題材もいくぶん異なり、プランの核心をなすキリストの主題が全面的に展開されることにはならなかった。その全面的な展開、というよりは展開への足がかりが確保されたのが、ほかでもないこの『カラマーゾフの兄弟』であり、そのことの自覚がこの作品の完成を作家にとって真に「意義深い瞬間」にしたのではないかと考えられる。このことは、ドストエフスキー自身が、この長編の思想的クライマックスとして、一方では第五編の「ProとContra」、とくにその「反逆」と「大審問官」の章をあげると同時に、それに拮(きっ)抗(こう)すべき(主観的にはイワンの《無神論》を凌駕すべき)比重をもつものとして、第六編の「ロシアの修道僧」、とりわけ、第七編第四章の「ガリラヤのカナ」の章をあげていることによっても裏づけられている。「『ガリラヤのカナ」の章は、この編で、いや、ことによると小説全体で、もっとも本質的な章です」とは、作家自身の言葉である。そしてここにアリョーシャによる「キリストとロシアの大地」の獲得の可能性ないし必然性が象徴的に示されていることは、一読、だれにも納得がいくことだろう。

    ラスコーリニコフの老婆殺しを描いた『罪と罰』もそうですが、『カラマーゾフの兄弟』も全編にわたって、ドストエフスキーのキリスト教観が色濃く反映されています。人間救済のみならず、国家救済への理想を訴えた、壮大な社説といっても過言ではありません。イワンの苦悩といい、ゾシマ長老の訓戒といい、ひと言ひと言が祈りのようですね。

    アリョーシャの運命 ~散りばめられた伏線

    あえて言うなら、これこそ晩年のドストエフスキーが生涯の探究と苦悩のはてに発しえた(と考えた)「新しい言葉」にほかならなかった。おそらく、この自信が、エピローグの最終章のイリューシャの葬儀の場面、とりわけ石の上でのアリョーシャの演説の場面を、あれほどまで象徴的に、いくぶん非現実的にさえ構成する一種のゆとりを作者に与えたのだと思われる。

    まず、石の上という設定からして、すでに第四編のパイーシイ神父の言葉にもちらと現われているように、マタイ福音書の「岩の上に教会を建てる」を踏まえて、今後のアリョーシャの使命を暗示したものであるように思われる。そこに集まった少年の数が十二人であることは、これまた「十二使徒」を連想させる。しかも、最近ソ連の研究者ヴェトロフスカヤも指摘しているとおり、この章の最後にリフレインのようにくり返される「永遠(とわ)の記憶」という言葉、「死者の復活」「来世の生命」という思想は、ロシア正教の信教十二条の最後の二条「われ望む、死者の復活ならびに来世の生命を、アミン」のほとんどそのままのパラフレーズとなっている。「アミン」(正教会では「アーメン」をこう発音する)が「カラマーゾフ万歳!」に変っているだけなのである。

    アリョーシャは、この演説を最後に少年たちと別れて、《俗界》のただなかへ出て行こうとしている。《俗界》で彼がその信条「行動の愛」をもって何をすることになるか、それは続編が書かれなかった以上、私たちには知るべくもない。十三年後のアリョーシャについては、彼が少年園の園長になるはずだったという説と、重大な政治犯罪のゆえに処刑されるはずだったという説の二つが流布している。

    前者は『大いなる罪(つみ)人(びと)の生涯』のノートを根拠にしたものだが、この推測は、少年たちのテーマがすでに『カラマーゾフの兄弟』である程度まで汲みつくされてしまっていることから見て、あまり首肯できるものではない。むしろ私としては、第二説を取りたい気持が強い。十三年という数字が、いかにも不吉な予感を誘うことが理由の第一であり、第二には、この作品に盛られた父親殺しのテーマが、当然に、ロシア国民の「父」(ドストエフスキー自身の言葉)である皇帝暗殺にまで発展する可能性を秘めていると思われるからである。

    グロスマンはカラマーゾフとカラコーゾフの姓の類似から、一八六六年に皇帝暗殺をはかって未遂に終った革命家ドミートリイ・カラコーゾフをアリョーシャのモデルと推論しているが、それよりはむしろ、父親殺しのテーマの内的発展を重視すべきではないかと思われる。カラマーゾフの姓そのものについては、注解でもふれたが、むしろキリストのテーマとの関連に重要な意味が隠されているように思えてならない。ともあれ、少年たちでさえ火製造に夢中になっている物騒な世の中であり(第十一編「少年たち」を参照のこと)、アリョーシャが爆弾テロリストの思想的指導者になったところで(『悪霊』のスタヴロギンもシャートフとキリーロフを生み出した)、すこしも不思議ではない状況が現存していた。

    現実にも、皇帝アレクサンドル二世は、ドストエフスキーの語られざる予言が的中したのか、作家の死のちょうど一ヶ月後に《人民の意志》派執行委員会の指令のもと、グリネヴィツキーの投じた爆弾によって暗殺された。おそらく暗殺事件の後、アリョーシャは、十二使徒の一人たるユダによって、影の思想的指導者として官憲に売り渡され、ドストエフスキー自身がかつて体験した死刑を、今度は「お芝居」ではなく、実地に体験することになるのだろう。

    この作品でも、刑場に引かれて行く死刑囚の心象風景が二度にわたって描かれているが、死刑執行の瞬間までの死刑囚の心理を克明に記録することは、一八七六年の中編『おとなしい女』のまえがきにも書かれているように、ドストエフスキーの積年の芸術的野心にほかならなかった。そして、問題のユダは、ひょっとすると、「トロイの発見者」カルタショフであったのではあるまいかと推察される。姓名占いでいくと、この姓は、タタール語起原のカルダショフ(「親友」の意味をもつ)に酷似しながら、その実、「見せかけだけの仕事をする」「嘘(うそ)をつく」の意味をもったロシア語の動詞カルターヴィチから派生しているように見えるからである。もっとも、これはもう完全に私の想像の領域であって、本来の作者ドストエフスキーにはまったく責任のないことである。

    『カラマーゾフの兄弟』の醍醐味は、この世に残された「第一の小説」(詳しくは、『作者より 』を参照のこと)から、幻の続編を推考することだと思います。「第一の小説」はアリョーシャの青春物語であると同時に、それ自体が伏線でもあり、随所に謎を解く鍵が散りばめられています。たとえば、フョードル殺しとはほとんど関わりのない「少年たち」のエピソード、リーズとホフラコワ夫人のエキセントリックなキャラクター描写、ラキーチンのねちねちした妬みと恨み、未来を示唆するようなイワンとスメルジャコフのやり取り。その一つ一つが、「ドストエフスキーが本当に書きたかった」続編への手がかりとなっており、どんな風にでも解釈することができます。

    江川氏も、その他の謎解き本で繰り返し力説されていますが、幻の続編が皇帝暗殺であるのは疑いようがなく、各キャラクターの役回りや、未来に起きるであろうことも、「第一の物語」のエピソードから読みとることができます。枝葉の部分が回収されてないために、初めての読者には「長い」「暗い」「回りくどい」と感じられますが、ドストエフスキーの中では全て整合性がとれており、江川氏の推考も決して的外れではありません。

    むしろ、幻の続編を意識すればこそ、読みが深まる部分も数多く(たとえば、イワンの秘めた願望と、実行部隊としてのスメルジャコフの関係)、このあたりが一般の読書体験とは大きく異なる点だと思います。

    我々、アリョーシャのファンとしては、江川氏が推考するような恐ろしい結末になって欲しくありませんが、ハリウッド的に想像するならば、牢獄で祈り、潔く処刑台に立つアリョーシャもドラマチックです。(【4】 幸福に必要な鈍感力・アリョーシャ ~鋭い知性はむしろ人間を不幸にするのパートでも、わめき女の母ソフィアが赤ん坊のアリョーシャを祭壇に捧げる場面が印象的でした)

    江川氏の指摘どおり、先走った少年たちの罪を肩代わりし、アリョーシャが首謀者として死んでいくわけですが、その後、生き延びた12人の少年たちが民衆を導き、社会革命を実現するところまで描いていたとしたら、まさに預言書と言えるでしょう。

    作家とは、誰よりも鋭い嗅覚を持つ者。

    ドストエフスキーには、いずれ民衆が団結して、旧来の権力構造を打ち壊す未来が見えていたのかもしれません。

    ドストエフスキーと父親 ~罪滅ぼしとしての小説

     一八三七年に母が亡くなってのち、父ミハイルはモスクワのマリヤ貧民施療病院長の職を退き、モスクワの南東百五十キロほどにある領地に引きこもっていた。彼はこのころから飲酒にふけるようになって、かなりのアル中症状を呈していたし、性格も粗暴になって、領地の百姓たちを虐待し、しばしば鞭(むち)で打ち据えたりしていた。とくに目に余ったのは女癖の悪さで、十四、五歳の村の少女を小間使いに取り立てては、次々と妊娠させたりしていた。ところが、その二年後、父は持村の一つチェルマシニャ村で百姓たちによって惨殺されることになった。殺し方はきわめて巧妙で、咽喉(のど)にアルコールを注ぎ込み、布切れを押し込んで窒息死させ、事故死に見せかけたらしい。酷使されていた農民たちから恨みを買っていたほかに、凌辱された少女たちの肉親から個人的な復讐を受けたのだと伝えられている。

    ≪中略≫

    しかし、事情はどうあれ、父親の恥ずべき死についての記憶が、作家の胸中に生涯なまなましい傷痕となって生きつづけたことは、否定しようもない事実であると思われる。手紙を書くということにさえ「至福」を感じていた父が、というより、それほどに卑屈な文体を作家に強いていた父が、少女を犯した恨みをかって虐殺されるという「恥辱」――ドストエフスキーのような作家にとって、これがどのような精神的衝撃でありえたかは想像にかたくない。父の死のころから、ドストエフスキーの一生の持病となった癲(てん)癇(かん)の発作がはじまったという言い伝えもあり、また、このころからドストエフスキーの性格が一変して内向的になったという証言もある。

    おそらく、少女凌辱や私生児のテーマが、ドストエフスキーの作品であれほど大きな比重を占めることになった源泉もここに求めてさしつかえないだろう。『カラマーゾフの兄弟』にも、スメルジャコフとグルーシェンカの二人の私生児が登場している。

    ドストエフスキーの実父ミハイルも、淫蕩父フョードルを彷彿とするような素行の悪い男であったのは有名な話です。もしかしたら、ドストエフスキー自身、ギリシャ悲劇のオイディプス王のように、父親殺しの願望を持っていたかもしれません
    (参照→ 『オイディプス王』と精神的な親殺しについて

    青年期、繰り返し心に描いた妄想が、ドミートリイの姿を借りて、言語化されたと言えなくもないですし、あれほどの迫真をもって描写できたということは、ドストエフスキーも相当に根を持っていたのではないでしょうか。

    また一方で、父の罪は我が罪と受け止め、贖罪する気持ちもあったかもしれません。ドストエフスキーの小説に、薄幸な少女が多いのも、半ば罪滅ぼしという気がします。

    フョードロフの哲学

    父親殺しのテーマは、ある意味では、ドストエフスキーにとって宿命的なテーマであったのかもしれない。十歳のとき、未来の作家にはじめての演劇的感動を恵んでくれた芝居がシラーの『群盗』、つまり、フョードル・カラマーゾフが好んで口にするように、実質的な父親殺しを描いた芝居であったとすれば、晩年の作家がゆくりなくもめぐり会った哲学が、これまた父親殺しとはいわぬまでも、父親と息子の関係をその思想体系の中心に据えた思想家ニコライ・フョードロフの哲学であった。

    ≪中略≫

    ドストエフスキーの文学的想像力を強くかきたてたであろうと思われるものに、《父と子》の問題を具体的に論じた次のような一節がある。

    「老いた世代と若き世代の敵対関係が、わが国におけるほど極端な様相を呈しているところは他に見られない。だからこそわが国では、他のどこにもまして進歩の教義が歓迎されるのだろう。……・たしかに停滞は死であり、退歩は天国でないとはいえ、しかし進歩はまことの地獄である。父祖と兄弟を否定する進歩は、もっとも完璧な道徳的堕落であり、道徳性そのものの否定である。現代の世紀、すなわち進歩の世紀にとって、父親とはもっとも憎しみにみちた言葉であり、息子とはもっとも屈辱にみちた言葉となっている。父と祖父の事業を受けつぎ、彼らに従属すること、これは進歩主義者にとっては何よりの恥辱なのである。だが、イエス・キリストは、その当時にあってもっとも恥辱的なものであった人の子(息子)の名を受け入れたではないか」

    ドミートリイにとっては肉体的に、イワンにとっては理論的に、父親の顔、父親の存在は憎しみの対象であった。なるほど、イワンは単純な進歩主義者ではないから、ヨーロッパまで行って、祖先の墓の前にひざまずこうとする願望はもっている。しかし、それは抽象的な願望にすぎず、ある医者がゾシマ長老に語ったような抽象的人類愛と選ぶところがない。この医者が個々の人間とは二日と一つ部屋に暮せないのと同じように、イワンも父親とは一つ家に暮せない、いや、その存在を抹殺したくなるほどの憎しみをさえ父に抱くのである。

    ひとりアリョーシャだけが、父への、兄弟への愛をもちつづけ、父親もまたアリョーシャには奇妙な愛情を寄せる。彼には抽象的な愛ではない、具体的な、行動的な愛があるからである。おそらく、エピローグ最終章のイリューシャの葬儀の場面は、このフョードロフの哲学への共感を土台にした、ドストエフスキーの新しい組織論とも読みとれるものだろう。

    前述のオイディプス王のように、『父親殺し』のテーマは、ドストエフスキーにとって二つの意味があったのではないかと思います。

    1. 憎悪や怨恨の文学的昇華
    2. 旧世界の打倒と新時代の創出

    第一には、創作を通して、父親に対する屈折した思いを昇華する必要性があったこと。

    二つ目は、旧世界の権威としての父親を打ち倒し、新しい時代を拓くことです。

    ロシアの国父である皇帝暗殺も、父親殺しの革命であり、その先には理想の新世界があります。

    世の中のことは、ちょっと努力したぐらいでは変わりませんし、構造が続く限り、苦しみもまた続きます。

    真に理想の世界を作ろうと思ったら、旧態依然とした勢力を打ち倒すより他なく、それはまさに「父親殺し」のように激しい挑戦であり、変化でしょう。

    長生きしたドストエフスキーが革命家になったとは思いませんが、相当に強烈な理想を描いていたのは間違いなく、もし、それが本当に『幻の続編』で書かれていたとしたら、ロシア革命前夜の民衆を大いに刺激したかもしれません。

    あるいは、歴史がドストエフスキーを消し去った……と言えなくもないですね。

    結果は、21世紀のロシアを見ての通りです。

    自身の《カラマーゾフ》を ~解釈の面白さ

    『カラマーゾフの兄弟』について語るべきことはあまりに多いが、ここではこの作品をつらぬく二つの中心主題、――キリストの主題と父親殺しの主題のみにかぎって解説めいたことを書いた。もともとこの作品は、いわゆる過不足ない解説がほとんど不可能に近い小説である。というより、なまじっかな解説など超越したところに、この小説のまさしくユニークな世界が存在し、だからこそ、一度この小説の毒にとりつかれた読者は、何度となく小説そのものに立ち戻って、そこに自分自身の《カラマーゾフ》を見出したくなるのである。

    つまり、この小説の世界には、あたかもそれが時空を超えてじかに読者自身の世界につながっているかのように予感ないし錯覚させる何かがあり、一度その何かの存在に気づかされてしまうと、さあ今度は、それをしかと確かめるまでは、まるで自身の存在が宙づりにされでもしたように、なんとも落ちつけなくなってしまうのである。

    私自身の読書経験からいうと、この何かは、中学生のころ、はじめてこの小説を無邪気に、いわば推理小説的な興味で読みとばしたときから(むろん、「大審問官」だの「ロシアの修道僧」だのというこむずかしいところは斜めに目を通しただけだが)、私の意識だか意識下だかに、まるで澱(おり)のように残った記憶がある。二度目に読み返して、アリョーシャの美しさに感傷的なあこがれを覚えたときも、やはりそうだった。そして、とうとう自分で翻訳をする羽目になり、こうして訳し終えたいまも、おそらく、その化学的組成はいくぶんかは変化したのだろうけれど、やはり以前と変らず、まぎれもない澱が心の底によどみ、現に私を不安にかりたてていることを感ずる。そして、それでいいのだろうと考えている。

    私としては、はじめてこの作品に取り組まれる読者にも、興味が持続し、時間さえあるなら、何年間をへだててでもよい、何度かまたこの作品に立ち戻り、読み返していただけたらと願っている。これは、何度読み返しても、そのたびに新しい発見を贈ってくれる珍しい本、世界文学の真の古典なのである。

    『一度この小説の毒にとりつかれた読者は、何度となく小説そのものに立ち戻って、そこに自分自身の《カラマーゾフ》を見出したくなるのである』というのは、まさにその通りで、当方は作家の視点に立って「幻の続編」を謎解きするのが面白いタイプ。これも伏線、これも続編を意識しての描写……と推考しながら読むと、面白さも倍増するんですね。

    実際、どのような話が書かれる予定だったかは、誰も知りません。「こうだろう」という推測だけで、メモも草稿も存在しないのが現状です。(せめて章立ての草案だけでも存在すれば、かなり輪郭がはっきりしたと思いますが)

    だからこそ、読む側は、自由に想像の翼を拡げることができるし、途中で詰まっても、何度でも読み直して、書かれなかった続編に思いを馳せることができます。

    一粒で二度美味しい作品もまたとなく、まさか、このような読まれ方をするとは、ドストエフスキーも想像だにしなかったのではないでしょうか。

    作家の死は悲劇ですが、作品は永遠です。

    「こうだ」という決めつけがないからこそ、読者はどんな風にでも楽しむことができます。

    自身の死によって、いっそう作品に深みが生じたことを、ドストエフスキーもあの世で苦笑いしながら、現代の読者を温かく見守っているのではないでしょうか。

    *

    全文を読みたい方はPDFをご参照下さい。PC・タブレット推奨。閲覧のみです。

    巻末『解説 ドストエフスキー』を読む(Google Drive ページ数 10P)

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