悪魔は迷う心にささやく
あらすじ
料亭≪みやこ≫で語り合った後、イワンは、このまま旅立ったものか、それとも、この地にとどまり、兄弟に助力すべきか迷いますが、偶然、スメルジャコフに出くわし、兄ドミートリイと父フョードルが一触即発の危機にあることを聞かされます。
フョードルは3000ルーブリを餌にグルーシェンカの気を引こうとし、グルーシェンカが夜中に訪ねて来たら、スメルジャコフが戸口に駆け寄って、ドアをノックするか、窓を叩いて報せる手はずです。また、ドミートリイが喉から手が出るほど欲しがっている3000ルーブリは、フョードルが大きな封筒にリボンをかけて、首から提げて持ち歩いていました。このことを知ったドミートリイが黙って見ているはずがありません。
もし、イワンがモスクワへ旅立てば、家の中は父一人になり、ドミートリイが乗りこんできたら、悲劇が起きるのは誰の目にも明らかです。
それを示唆した上で、スメルウジャコフはイワンに旅立つよう促し、イワンも売り言葉に買い言葉で「明日の朝、モスクワに発つ」と言い放ちます。
そして、このことが後々までイワンを苦しめるとは、イワン自身も想像だにしていません。
『第Ⅴ編 ProとContra 兄弟相識る / 反逆 / 大審問官』では、迷うイワンの心に、悪魔のようにささやきかけるスメルジャコフの言動が描かれています。
● 【16】 いやな臭いのリザヴェータと聖痴愚(ユロージヴァヤ)
スメルジャコフの呪われた出生に関するエピソード。スメルジャコフがカラマーゾフの義兄弟と疑う所以です。
● 【18】 スメルジャコフと悪魔 ~ 無神論と反キリストの違い
スメルジャコフが屁理屈を並べて、神の教えを嘲笑うエピソード。
動画で確認
映画『カラマーゾフの兄弟』(1968年)より。1分クリップ。
スメルジャコフと話すイワン。
イワンの迷いと羞恥心
アリョーシャと話した後、どこか救われたような気持ちでいたイワンですが、いざ一人になり、家路につくと、たまらない憂鬱に襲われます。
イワンは、その理由について、「新しい未知のものへの憂愁」「親父の家に対する嫌悪感」「アリョーシャに心の内をすっかり打ち明けたこと」など、様々に思い巡らせます。
では、アリョーシャとの別れ、さっき彼とかわした会話が原因だろうか?
『もう何年来、世間に対して沈黙を守り、口をきいてやるまでもないと大きく構えていたのに、突然、愚にもつかないことをしゃべりちらしたせいだろうか?』
事実、それは、青年らしい無経験と青年らしい虚栄心に根ざす若者に特有の不満感かもしれなかった。心のたけをうまく言いつくせなかった不満感、しかもその相手が、明らかに心中、大きな期待を寄せてきたアリョーシャのような人間であるとしたら。むろん、それもあった。というより、そのような不満感はどう見てもないはずがなかった。しかし、それもやはりちがう、まったくちがうのである。
『胸がむかむかするくらい憂鬱だというのに、自分が何を望んでいるかも突きとめられないなんて。いっそ考えまい……』
現実のカウンセリングなどもそうですが、カウンセラーに悩みを打ち明け、その場では解き放たれたような気持ちになっても、時間が経つにつれ、「喋りすぎた」と自己嫌悪に陥るのはよくある事です。反動とも言うのでしょうか。
イワンも、アリョーシャと別れた直後は、晴れ晴れした気持ちでいましたが、「アリョーシャのような人」、自分より年下で、しかもイワンとは対照的な純朴な人間に、長年、胸の内に秘めてきた思想や悩み――叙情詩『大審問官』のような、自分のアイデンティティの根源にかかわるような秘密を打ち明けたことが、途端に心に重荷に感じられ、「あんなこと、話さなければよかった」と後悔する気持ちはよく分かります。プライドの高い人ほど、反動も大きいのではないでしょうか。
悪魔は弱った心、迷える心にささやく
そんなイワンの目の前に現れたのがスメルジャコフです。
偶然、見かけたとはいえ、まるで悪魔の仕掛けた罠のように、吸い寄せられていきます。
ある。こういういまわしい、じれったい気分のまま、イワンはようやく父の家までたどりついた。ところが、くぐり戸まであと十五歩ぐらいのところまで来て、ふと門のほうに目をやったとたん、さっきからあれほど彼の心を悩ませ、不安にさせていたものの正体が何であったかに、一瞬、はっと思いあたった。
門のわきのベンチに従僕のスメルジャコフが坐って夕涼みをしていたが、イワンはその姿をひと目見るなり、自分の心の底に坐っていたのもこの従僕のスメルジャコフであったこと、耐えがたい思いをさせられた張本人はほかでもないこの男であったことを悟ったのである。
ぱっと照明が当ったように、たちまちすべてが明白になった。そう言えば、さっきアリョーシャがスメルジャコフと出会った話をしたときにも、何か暗くいまわしいものがぶすりと心に突き刺さって、すかさず反射的な憎悪の念を呼び起したものだ。
『こんなくだらない野郎のことでこうまでくよくよさせられるなんて、おかしな話じゃないか』彼はじりじりさせられるような憎悪を感じながらこう思った。
イワン曰く、「実を言うと、イワンはこのところ、とりわけこの二、三日、ほんとうにこの男が嫌でたまらなくなっていた」のですが、イワンがこの男に嫌悪感をもよおしたのは、スメルジャコフがイワンの心の影であり、イワンの秘めた願望を知りつくしているからでしょう。
イワンの秘めた願望とは、ドミートリイとカチェリーナが婚約解消し、フョードルも死んで、遺産が入ってくることです。「蛇が蛇を食い殺す」ように、邪魔な二人が互いに自滅してくれたら、これほど都合のいいことはないからです。
そんなイワンも、フョードルの家に帰った当初は、スメルジャコフに興味をもち、「二人は哲学的な問題も話し合ったし、太陽や月や星は天地創造の四日目に作られたのに、なぜ最初の日から光がさしていたのか、これはどう理解すべきか、といったことまで話し合った」とあるように、知的な意見も交わします。
しかし、途中から、「問題は太陽や月や星にあるのではなく、なるほど太陽や月や星もなかなか興味深い論題にはちがいないが、スメルジャコフにとってはまったく第三義的な問題であり、彼が必要としているのはまったく別のものだということを確信するようになった」とあるように、自分とは異なる人間だと勘付きます。
イワンは、「【33】 神さまに天国への入場券をお返しする ~子供たちの涙の上に幸福を築けるか?">ぼくは神を認めないんじゃない、ぼくはただ入場券をつつしんで神さまにお返しするだけなんだ」と否定しながらも、根本的には愛の人ですが、スメルジャコフは単なる冷笑系です。それも怨恨と劣等感に取り憑かれた、歪な心の持主です。
イワンがスメルジャコフの心底にどす黒いものを感じ、嫌悪感を感じて、遠ざけるようになるのも当然です。
そして、その事が、スメルジャコフの劣等感をいっそう刺激し、カラマーゾフの兄弟の破滅へと駆り立てます。
スメルジャコフは、「グルーシェンカが近日中、フョードルを訪ねる可能性があること(万が一にもないと思うが)」「フョードルが3000ルーブリの入った封筒を首から提げて待ち構えていること」「グルーシェンカが来たら、スメルジャコフが秘密のノックで知られること」「スメルジャコフは明日にも長い癇癪の発作が起きるかもしれないこと」を口にし、イワンにチェルマンシニャに行くよう促します。
しかし、癇癪の発作を予言するなど、おかしいし、イワンがいなくなれば、家の警備も手薄になり、ドミートリイも何をするか分かりません。他人の死を希望する権利はあるのか?』の時も、興奮したドミートリイが家に乗りこんで、フョードルをめちゃくちゃに痛めつける出来事がありました。それよりもっとひどい事が起きるかもしれないのに、イワンに留守にするよう促すスメルジャコフはどう考えてもおかしいですね。
そんなイワンに、スメルジャコフは言います。
「私は、あなたがお気の毒なのでお話ししましたのですよ。もし私があなたの立場でしたら、こんなことにかかり合いになるより、……何もかもほうり出して、さっさと行ってしまうところです」
その一言を聞くと、「おまえは、どうやら大馬鹿らしいな……おまけに、言うまでもないが、とんでもない悪党ときている!」とイワンは嫌悪感を露わにしますが、
「おれはあすモスクワへ発つぜ、知りたければ教えておいてやる、あすの朝早くな――それだけだ!」
と売り言葉に買い言葉で答えます。
「父と兄の身の上に何かあっても、俺は知らない」と啖呵を切ったも同然ですね。
イワンは、こんな風に促したスメルジャコフのせいだと思いたいですが、決めたのはイワンです。誰も強制などしていません。
言い換えれば、イワンは何もかも見越した上で、見殺しにすることを選んだ、ということ。弁解の余地などありません。
そして、その事が次第にイワンの良心を蝕み、ついには、父親を殺したのは自分のせいだと思い込み、悪魔の幻影を目にするようになります。
なぜ、こんな戯れ言に乗ってしまったのか。
イワンの葛藤は、次のエピソード『第七章 賢い人とはちょっと話すだけで面白い』の、フョードルとのやり取りに描かれています。
『悪魔』とは何か
悪魔とは、誘惑する者、いっさいを否定する者です。
死や天災など、邪悪な事を引き起こす悪霊や死霊とは異なり、人間を堕落させるのが彼らの仕事です。相手が高貴であれば、あるほど、堕落の功績も大きいです。
タロットカードの大アルカナでも、鎖に繋がれた男女が描かれていますが、彼らは嵐や疫病のように意図せぬ災いに巻き込まれたのではなく、愛欲や禁欲の虜となり、堕ちるべくして堕ちました。悪魔は何も仕掛けません。目の前の人間に、金塊を見せるだけです。賢い人は、それが罪だと分かっているので、決して手を付けませんが、弱い人は拒むことができず、もっともっと欲しがって、ついには牢獄に繋がれます。
悪魔は何もしなくても、甘い事をささやくだけで、地獄に突き落とすことができるのです。
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スメルジャコフも同様、イワンに何を命じるわけでもありません。
ドミートリイにも直接手を下すことはないし、アリョーシャに対しても、物理的には無害です。
フョードル殺しも、フョードルが狙いというよりは、ドミートリイを冤罪によって社会的に抹殺し、イワンを精神的に破滅させ、アリョーシャに対しては、兄への疑念から兄弟の結束にヒビを入れるのが目的でしょう。
直接には何もしておらず、ドミートリイとイワンが心の奥底に秘めていた殺意を実行したに過ぎません。
フョードル殺しも、イワンに何も言わず、ただ自分の恨みから実行していたら、皆がこれほど苦しむことはなかったでしょう。
単なる怨恨ではなく、自分が憧れ、そして自分を認めてくれなかったイワンを内側から壊すことが最大の目的と感じます。
しかし、スメルジャコフごときの「つぶやき」に心を苛立たせ、売り言葉に買い言葉でモスクワ行きを決めてしまうイワンも、相当に隙があったといっても過言ではありません。
その隙も、元はと言えば、「神を認めない」というニヒルな態度から来るものです。
神を疑い、憤る心の隙に、スメルジャコフという悪魔が入り込みました。
ずっとアリョーシャに寄り添い、素直な気持ちでいたら、スメルジャコフのささやきなど寄せ付けもしなかったでしょう。
そう考えると、「イワンが招いた」と言えなくもないし、スメルジャコフでなくても、行く先々で悪魔的なものに遭遇したかもしれません。
一番考えられるのは、過激思想です。
フョードル殺しも起こらず、予定通り、ヨーロッパに渡っていたら、そこで自由主義や個人主義に感化され、過激な革命家になって帰国することは十分に有り得ます。
そうなったら、アリョーシャでも手の付けられない過激思想の持主になり、小説『悪霊』のスタヴローギンのような人間になったかもしれません。
そうなる前に歯止めがかかったのは、「フョードル殺し」によって、激しい良心の呵責に苛まれたこと。
そんな兄に対し、アリョーシャが「あなたのせいじゃありません」と言ってくれたこと。
結果的にはアリョーシャの存在が大きいです。
一家には悲劇的な事件でしたが、ある意味、フョードルは自分の血を流すことで、兄弟を正気に戻した、と取れなくもないですね。かなり苦しい解釈ですが😅