長男ドミートリイ ~親族間をたらい回し
章の概要
田舎の淫蕩オヤジ、フョードル・カラマーゾフは、名門の令嬢アデライーダ・ミウーソフと結婚しますが、フョードルが彼女の持参金2万5千ルーブリをそっくり取り上げたどころか、持村や邸宅まで、自分名義に書き替えようとした為、夫婦喧嘩になり、アデライーダは貧乏な神学校出身の教師と駆落ちして、家を出て行きます。
3歳になるドミートリイ(ミーチャ)は、父フョードルからも存在を忘れ去られて、忠僕グリゴーリイが面倒を見ますが、その後も、妻方の親族(ミウーソフ家)を転々とし、高等中学を中退後は、軍関係の学校に入って、軍人になります。
ところが、ドミートリイは「自分は金持ち」と勘違いし、放蕩三昧。多額の借金を抱えます。
成人して、父フョードルの存在を知ると、財産について協議するため、一度は顔を合わせますが、狡猾なフョードルは、そう簡単に財産を渡しません。
にもかかわらず、ドミートリイは散財を続け、とうとう無一文になってしまいます。
それでもフョードルは、息子のためにビタ一文払おうとせず、ドミートリイは父親への恨みをつのらせます。
『第Ⅰ編 ある家族の由来 / 第2章 ドミートリイ』では、ドミートリイの哀れな境遇と、父親との金銭問題について描いています。
動画で確認
TVドラマ『カラマーゾフの兄弟』(2007年)より。
「アデライーダと夫婦喧嘩」「ミーチャを置いて家出」「大願成就」のエピソードが描かれています。
https://youtu.be/-YcFzj5MyMo?t=306
大願成就の場面も、文章だけでは分かりにくいのですが、こんな感じであったと。
1968年度の映画では、いきなり僧院での会合から始まりますが、TVドラマ版では、成長したドミートリイが金の無心に父フョードルを訪ね、けんもほろろに追い返される場面が描かれています。
長男の存在すらも忘れ去り
貧しい教師と駆落ちしたアデライーダが、ペテルブルグの屋根裏部屋で急死すると、フョードルは歓喜して、再び放蕩生活に戻り、長男ドミートリイの存在すら忘れ去ってしまう。
このような男が養育者、父親としてどうだったかは、むそん、容易に察しがつくだろう。父親としての彼(フョードル)には、まさしくお察しのとおりのことが起こった。つまり、アデライーダとの間にもうけた自分の子を、まるでもうすっぽかして顧みようともしなかったのである。
それも、その子が憎いからとか、夫として受けたはずかしめを根にもってとかいう理由からではなく、なんのことはない、子供の存在そのものをてんから忘れてしまったのである。
子供の存在を忘れ去るなど、けしからん――と思うかもしれませんが、現代のワーカホリックの父親も似たようなものでしょう。仕事を理由に家庭を顧みず、子供の世話も妻に任せきりで、自分は外で好き放題、みたいな父親は、この世の中にたくさん存在します。フョードルだけが特別悪いのではなく、昔から、男親というのは、そういうものである――という典型ですね。
そんなドミートリイを哀れに感じ、世話役を買ってでたのが、カラマーゾフ家の忠実な従僕グリゴーリイです。
後に登場する本作のキーパーソン、調理係スメルジャコフの養父でもあります。
(詳しくは、【15】 忠僕グリゴーリイ『好色な人々』の真摯な生き様 / 性も含めて一人の人間で紹介しています)
彼(フョードル)が涙まじりのくりごとでみなをうんざりさせ、一方、わが家を淫蕩の巣窟に変えてしまったころ、三歳になるミーチャ少年の世話を買って出たのは、この家の忠僕グリゴーリイで、もし当時グリゴーリイが面倒を見てやらなかったら、子供の肌着を替えてやるものもなかったにちがいない。
それにどうしためぐり合わせか、この子の母方の実家のほうでも、当座はやはり子供のことを失念していたようだった。子供の祖父、つまりアデライーダ・イワーノヴナの父親である。
当主のミウーソフ氏はすでに他界していたし、ミーチャの祖母にあたるその未亡人は、モスクワへ引き移ってから、すっかり病身になってしまったし、叔母(おば)たちもそれぞれに嫁いで行ったので、ミーチャはほとんどまる一年というもの、従僕(じゆうぼく)のグリゴーリイの手もとに置かれ、下男小屋で暮らす羽目になった。
もっとも、かりに父親がミーチャのことを思い出したところで(実際問題として彼が子供の存在を知らずに通せたはずはなかった)、あらためてまた召使部屋に追い返すぐらいがおちだったろう。なんといっても、子供はやはり乱痴気騒ぎの邪魔になるからである。
フョードルは、ドミートリイの存在そのものを忘れ去り、抱きしめることもなく、厄介払いするわけですね。
そのように扱われた息子が、淫蕩父のことをどう思うか、想像に難くありません。
悲劇は起こるべくして起こった――という、自他ともの認識が芽生えます。
西洋かぶれのミウーソフ一家
田舎オヤジと対比して描かれるのは、妻アデライーダの親族、ミウーソフ一家です。
アデライーダが、そうであったように、ミウーソフ一家も、西洋かぶれのインテリ揃いです。
作者いわく、
そうこうするうち、亡くなったアデライーダの従兄でピョートル・アレクサンドロヴィチ・ミウーソフという青年がひょっこりパリから帰って来た。
彼はその後多年にわたってずっと外国で暮すようになるのだが、当時はまだ弱冠の青年で、ミウーソフ家の人々のなかでは例外ともいえる、首都じこみ、外国じこみの開けた考えの持主で、おまけに生涯を通じての西欧人であり、晩年には四〇年代、五〇年代の自由派(注解参照)として知られていた。
その長い人生行路の間に、ロシアでも外国でも、彼は当時の多くの自由思想家たちと交友を結び、プルードンフランスの社会主義者やバクーニンロシアのアナーキスト革命家とは個人的に面識をもち、その放浪者的人生の終り近くには、1848年のパリの二月革命の三日間のことをとりわけ好んで思い出話の種にしては、まるで自分自身がそのバリケード戦の参加者ででもあったかのような話しぶりをしたものである。これは彼の青春のなによりも心おどる思い出の一つであった。
ドストエフスキーの西欧嫌いはよく指摘されますが、本作でも、揶揄するような表現はたくさん出てきます。
西欧的な自由主義、個人主義、科学万能主義は、いまだに中世のような信心が重んじられ、広大な田舎体質のロシアとは相容れないでしょう。
現代日本でも、東京で生まれ育った純正の都会っ子が、地方都市の田舎に来ると、価値観やライフスタイルのギャップに驚くことがありますね。その逆も然り、田舎の住民にとって、「祭りとか興味ないですし」「盆や正月に親族の行事に縛られたくない」とか言いだす都会っ子はコミュニティの脅威です。
ロシアもそれと同じ。僧院の長老が精神的指導者として絶大な影響力をもち、地主と農民みたいに身分階級が残る社会に、「人はみな平等」「神など存在しない」「奇跡とか科学的に有り得ない」みたいな尖った考え方を持ち込む西欧かぶれの人々が、憧れの一方で、どれほど脅威だったか。誰よりもロシア文化を愛し、国の未来を憂うドストエフスキーが揶揄するのも、分かるような気がします。
(ロシアの長老制度については、『【5】リアリストは自分が信じたいものを信じる ~アリョーシャの信仰とゾシマ長老』で紹介しています)
ピョートル・ミウーソフも、エリート特権でパリの空気を吸い、すっかり感化されたのでしょう。ロシアの田舎者を相手に、得意げに自説を披露する姿が目に浮かびます。
■ 参考
このように言っても、多くの日本人はロシア人をヨーロッパ人と思い込んでいるので、どうしてそこまで反欧米的になるのか理解しづらい。しかし、ロシアは19世紀にはフランスのナポレオン軍に侵攻され、20世紀にはヒトラーのドイツ軍に侵攻され、多大な犠牲を払ったのである。西欧世界そのものに憎悪を抱いていると言っても大きな間違いではなかろう。しかも、その西欧は彼らにとって永遠のモデルなのだから、問題は超複雑である。ロシアという大国の自己矛盾がいかに深いことか。
九州大学に留学していたあるロシア人に尋ねたことがある。「君は自分をヨーロッパ人だと思う?それともアジア人に親近感を感じる?」すると彼、こう言った、「僕はロシア人です」。つまり、ヨーロッパでもアジアでもなく、その両方であるのがロシアということなのだ。そういう民族が得手して自分たちこそ人類を代表する存在だと思いがちになるのは不思議ではない。かの文豪ドストエフスキーも、「ロシア人こそは人類を救える」と信じていた。
ドミートリイの勘違い ~父との金銭の確執
親族間をたらい回しされたドミートリイは、高等中学を退学すると、軍関係の学校に進み、軍人になりますが、そこでも、「自分は金持ち」と勘違いして、放蕩の限りを尽くします。
成人すると、裕福な父親にお金を無心するために、初めてフョードルと顔を合わせますが、がめつい父親が気を許すはずもなく、親子の再会も水流れに終わります。
まず第一に、フョードルの三人の息子のなかでは、このドミートリイひとりが、幼いころから、自分にはともかくもなにがしかの財産があり、成人に達したら(注解を参照) 独立できるという確信をもっていたことがある。
少年時代、青年時代は、ちゃらんぽらんに過ごした。高等中学を中退して、その後、ある軍関係の学校に入り、やがてコーカサスに行って、そこで任官し、決闘騒ぎを起こして降等され、また復官するといった調子で、さんざ放蕩を重ね、金もずいぶん使った。
フョードルから仕送りを受けるようになったのは、成人に達してからだが、それまでの借金が相当な額になっていた。自分の父親であるフョードル・パーヴロヴィチのことを知り、はじめて顔を合わせたのも、成人に達して後のことで、そのときは自分の財産のことで父親と協議するため、わざわざ当地を訪ねて来たのだった。
父親に対しては、もうそのときから好意をもてなかったらしく、わずかの期間親もとに逗留しただけで、父親からいくらかの金を引き出し、領地からの今後の収入の受け取り方について父親とある種の取り決めを結ぶと、早々にまた引き上げてしまった。
父親に対しては、もうそのときから好意をもてなかったらしく、わずかの期間親もとに逗留しただけで、父親からいくらかの金を引き出し、領地からの今後の収入の受け取り方について父親とある種の取り決めを結ぶと、早々にまた引き上げてしまった。
また、でたらめな淫蕩オヤジとはいえ、金勘定に抜け目のないフョードルは、ドミートリイが威勢がいいだけの「短気な遊び人」と見抜くと、「申し訳程度の涙金」で、軽くあしらい、それ以上、財産に手を付けられないようにしてしまいます。
要するに、この若者が軽はずみな、勇み肌の、がむしゃらで、短気な遊び人であり、目先のなにがしかの金を手に入れられさえすれば、むろん、一時かぎりのことだが、けっこうおとなしくなってしまう男と見当をつけたのである。
フョードル・パーヴロヴィチはほかでもないその点につけこもうとした。
つまり、申しわけ程度の涙金や一時しのぎの仕送りでお茶をにごしつづけ、そのあげく、もう四年も経ってから、ついにしびれを切らしたミーチャが、今度こそ父親との間にきっぱり決着をつけようと、三度目にこの町に乗りこんで来たときには、なんとまあ驚いたことに、彼はもう完全な無一文であり、清算をしようにも何にも、自分の資産の総額をすでに現金の形でフョードルから引き出してしまっており、ひょっとすると、むしろ借りがあるくらいだということが、だしぬけに判明したのである。
そのうえ、これこれのときに、自分自身の希望で父親と結んだかくかくしかじかの取り決めによって、彼にはもうそれ以上何を要求する権利もない、云々(うんぬん)、云々といった次第であった。青年は愕然(がくぜん)として、嘘(うそ)ではないか、だまされたのではないか、と嫌疑をかけ、あげくは逆上して、正気をなくしたようになってしまった。
いつの時代も、金銭の恨みは深いです。親子でも、狂ったようになります。それはミーチャに限らず、現代でも同じではないでしょうか。
この悶着が、後々、グルーシェンカをめぐる3000ルーブリ問題になり、殺人事件に繋がります。
(事の経緯は、【17】ドミートリイの告白 ~3000ルーブリをめぐる男女の愛憎と金銭問題 カチェリーナとグルーシェンカで一覧にまとめています)
カラマーゾフ家の悲劇は、「色恋」よりも「金銭」に拠るところが大きく、マモン(マンモン)の悪魔(Wikiで見る)と称される所以です。
【コラム】 愛の為には散財も惜しまない ~ドミートリイの淋しさと優しさ
物語の前半だけ見れば、ドミートリイはどうしようもないロクデナシで、馬鹿な遊び人のイメージがありますが、読み進むにつれ、そうではないことが分かってきます。
特に、『第Ⅶ編 ミーチャ』の、モークロエの居酒屋の場面では、一度ならず二度までも、かつての婚約者にコケにされたグルーシェンカを励ますため、ドンチャン騒ぎで気持ちを盛り立てようとします。
モークロエの居酒屋にて(1分動画)
その姿を見ると、根っからの遊び人というよりは、「周りを喜ばせるためにお金を使う人」。
現代の宴会でもいますよね。場を盛り上げるために、人肌抜いて、「さぁ~、皆さん、どんどん飲んじゃいましょぉ~」と自腹を切ってでも、盛り上げずにいられないタイプ。
それで皆が喜んでくれたら、自分も我が事のように嬉しい――たとえ、その中に、人の好さを利用して、タダ飯に預かろうという腹黒い人間がいたとしても、ぱーっとお金をばらまいて、頑張ってしまう。
ドミートリイも、そういうお人好しタイプで、はたと気付けば、周りにたかられていた、ということもあるかもしれません。
「遊び好き」はその通りかもしれませんが、フョードルの淫蕩は異なり、周りを楽しませて、自分も楽しむ。サービス精神旺盛な体育会系です。
裏を返せば、淋しい人であり、他人の淋しさが分かるから、ますます周りを放っておけなくなる。
根っからがめついフョードルとは、人間の質も、考え方も大きく異なり、だからこそ、話をしても噛み合うところがないのでしょう。(はなから他人を寄せ付けない、イワンも同様です)
どこの世界でも、お金をばらまく人は大勢に慕われるし、お金があるうちは、周りの愛情と尊敬を勝ち得ることができます。
気前のいい男であり続けることが、孤独なドミートリイにとって、この社会で生き抜く、唯一の手立てだったのかもしれません。
リーブルとは現代の通貨で幾らなのか?
『カラマーゾフの兄弟』を読み解くには、当時のルーブリにどれほどの価値があったのか、正しく識る必要があります。
3000ルーブリと聞いても、現代の日本人には、ピンとこないので、
≪雑記≫ ドストエフスキーの世界 『帝政ロシアの通貨事情』によると、
フョードル M.ドストエフスキー Фёдор Михайлович Достоевский, 1821-1881 が活動した19世紀後半のロシアにおける市民の生活感覚と貨幣価値の関係について、亀山訳 『罪と罰』 では巻末の 「読書ノート」 の 「8 ロシアのお金」 で明快に解説されている。 その中で、ラスコーリニコフが質草として金貸し老女のもとに持ち込んだ 《父親の形見》 の銀時計の質値が 「利子天引きで、一ルーブル五十コペイカ」 であったことに対して、「当時の一ルーブル五十コペイカは、現在の日本の貨幣価値に照らして、どの程度の額なのだろうか」 と問い、その答えとして 「一ルーブルを約千円と想定していただいておおよそまちがいない」 と説明されている。
≪雑記≫ ドストエフスキーの世界 『帝政ロシアの通貨事情』
上記の計算に基づくと、父子トラブルの元凶となる3000ルーブルは、約300万円です。
「300万円」というと、大した額ではないように感じますが、ポーランドもEU加盟前の1999年頃は、庶民の平均年収は100万円にも満たなかったし、共産主義時代はもっと悲惨です。(現代でも、一日1ドル以下で暮らす人はありますね)
19世紀末なら、300万円もあれば、一生遊んで暮らせたかもしれません。
ドミートリイが目の色を変えるのも、頷ける話です。
江川卓による注解
四〇年代、五〇年代の自由派
教護派
ピョートル・ミウーソフが、若かりし頃、自分の領地と境界を接する僧院を相手取って、「川の漁業権だか、森林の伐採権だか、確実には知らないが」、いつ終わるかも知れない訴訟事件を起こし、しかも、『教護派』と訴訟を起こしたことに対して、「啓蒙的市民としての、自身の義務」と心得ていた事に対して。
教会権力に対抗することを社会正義のように感じていた、という喩え。
成人に達したら
ドミートリイが、父の財産を分けてもらえると勘違いしていた事に関する。