アリョーシャの内省と分析 ~スネギリョフと僕たちは対等
章の概要
アリョーシャはスネギリョフ二等大尉にカチェリーナから託された200ルーブリを手渡しますが、スネギリョフは「自分の名誉を金では売りません」と握りつぶし、踏みつけます。
アリョーシャは得も言われぬ悲しみを感じながら、スネギリョフをの後ろ姿を見送りますが、「ああ、彼にはよくわかっていたのだ。二等大尉が最後の最後まで、よもや紙幣をもみくたにして地べたに叩きつけようとは、自分でも思ってもみていなかったことを」とスネギリョフの心情を理解します。
(参考→ 【28】世界じゅうでいちばん強いのは金持ち ~少年から見た社会と虹色のルーブリ紙幣)
その後、アリョーシャはしわくちゃになった200ルーブリの紙幣を拾うと、事の経緯をカチェリーナに報告する為、彼女の元(ホフラコワ夫人の屋敷)に向かいます。
『第Ⅴ編 ProとContra / 第1章 婚約』では、前半がスネギリョフ二等大尉に対するアリョーシャの思い、後半がリーズとの婚約とホフラコワ夫人の心配が描かれています。
動画で確認
TVドラマ『カラマーゾフの兄弟』(2007年)より。
アリョーシャがリーズと語り合い、リーズが愛情を確かめるためにアリョーシャの手の甲にキスする場面です。原作でも十分邪悪ですが、映像で観ると、ますます邪悪さが感じられます(^_^; この後、カチェリーナとイワンが痴話喧嘩し、別れに至る展開です。
https://youtu.be/-YcFzj5MyMo?t=8125
スネギリョフが見舞金を踏みにじった心理
スネギリョフ二等大尉への見舞金200ルーブリを受け取ったアリョーシャは、事の詳細を伝えるべく、カチェリーナの元に向かいますが、カチェリーナはイワンとの別れにショックを受けて、話ができる状態ではありません。
(参考→ 【27】カチェリーナとうわずりの愛 ~気位の高い女とイワンの別れ
すると、ホフラコワ夫人は、アリョーシャに「リーズのところで待ってほしい」とお願いします。
リーズはアリョーシャに恋文を送り、その返答として、アリョーシャが「僕たち、結婚するんです」と約束したからです。
ホフラコワ夫人は、リーズの真剣な様子を見て取り、まだ早すぎることから不安に感じていました。
そこで、アリョーシャは改めてリーズと向かい合い、先ほどのスネギリョフ二等大尉の件から話し始めます。
リーズは、なぜスネギリョフの後を追いかけて、お金を渡さなかったのかと疑問を呈しますが、アリョーシャは、「いや、リーズ、追いかけないほうがよかったんですよ」と説明します。
「死んだりはしません、この二百ルーブリはどうせあの人たちのものになるんですから。どのみちあすになれば受け取ってくれますよ。いや、あすはきっと受け取ってくれます」アリョーシャは、物思いに沈んで歩きながら言った、 ≪中略≫
「あの人は小心で弱い性格の人なんですね、たいへんに苦労をした、それでいてとても善良な人なんです。ぼくはいま、どうしてあの人があんなに突然怒りだして、お金を踏みにじったりしたのか、いろいろ考えてみたんですけど、それは、あの人が最後の最後まで、自分がお金を踏みにじろうなんて思ってもいなかったからなんです、まちがいありませんよ。
いま思うと、あの人はいろんなことに腹を立てたんですね……いや、あの人の立場としては無理もないことですよ……まず第一に、ぼくの前であんまりお金のことを喜んで見せて、それを隠そうともしなかったことが腹立たしかったんです。同じ喜ぶにしても、あまり羽目をはずさないで、表にはそれを出さず、ほかの人がやるように恰好をつけて、金を受け取るにしても不承不承というふうにしたら、まあなんとか持ちこたえて受け取ってくれたかもしれないんですが、あの人はあまりにも正直に喜びすぎてしまったので、それが腹立たしかったんですよ。
ああ、リーズ、あの人はほんとうに正直な、善良な人で、それがこの場合には何より困ったことなんです!
「あの人が最後の最後まで、自分がお金を踏みにじろうなんて思ってもいなかったからなんです」というのは、本心では、200ルーブリもの見舞金が嬉しかったにもかかわらず、アリョーシャが純粋な気持ちから「カチェリーナさんは、お金ならまだいくらでも出してくださいますとも、それにぼくだってお金はありますよ、お入用なだけ使ってください」と口にしたことで、逆に、許せなくなったからですね。
こうしたアンビバレンスは、他人に親切にされると、かえって、重荷に感じる人の心理に似ているのではないでしょうか。まして、相手が、自分の苦手な人、自分より上の立場であれば、かえって恩着せがましく感じ、いっそう自分がみじめな存在に感じてしまう。こういう経験は誰にでもあると思います。
ところがそうやって、ほとんど胸のうちをすっかりさらけ出してしまったとたん、今度は、そんなふうに胸のうちをぼくに明かしたことが、急に恥ずかしくなったんです。そこで今度はぼくが憎らしくてならなくなった。なにしろあの人は気の毒なくらいのひどい恥ずかしがりやなんですから。
ところで、あの人が腹を立てたいちばんの原因は、あまりにも早くぼくを親友あつかいにして、あまりにも早くぼくに心服してしまったことにあるんです。ぼくに食ってかかったり、脅しをかけたりしていたのが、お金を目にしたとたん、ぼくを抱擁しはじめたんですもの。だってぼくに抱きついたり、たえず両手でぼくにさわったりしていたんですもの。つまり、そういう形で心の中ではずっと屈辱感を味わいつづけていたに相違ないんです、
ところがちょうどそこでぼくがへまをやってしまった、それも非常に大きなへまをやってしまったんです。つまり、ぼくはだしぬけにこんなことを言っちゃったんですよ、もしほかの町へ行く旅費が足りないようなら、お金はまだ出してもらえるし、なんならぼくも自分のお金をいくらでもご用立てしたいだなんて。これがあの人にぐっとこたえてしまったんですね、なんだっておまえまでが恩を売りにしゃしり出てくるんだ? というわけです。
さらに、アリョーシャは、これ以上の好結果は望めないと言います。
「どうしてかと言うとね、リーズ、もしあの人がお金を踏みつけないで、それを受け取ったりしたら、家へ帰ってものの一時間も経たないうちに、屈辱感にやりきれなくて泣きだしてしまうからなんです。これはもう確実にそうなりますよ。泣きだして、たぶん、あすは、まだ夜が明けるか明けないかにぼくを訪ねて来て、おそらく、二枚の紙幣をぼくに投げつけたうえ、さっきのように踏みにじったと思います。
でもさっきのあの人は、《自分で自分をだめにした》ことを承知はしながらも、意気揚々と勝ち誇ったようにして帰って行ったんです。
で、こうなればもう、あすのうちにこの同じお金をあの人に受け取らせるのは、実に楽なことなんですよ、なぜってあの人はもう自分の自尊心を証明してしまったんですもの、お金を叩きつけて踏みにじって見せたんですもの……
むろん、お金を踏みつけていたときには、ぼくがあすまたそれを持って行くなんて知るはずもありませんよ。でも、このお金はあの人にとっては是が非でも必要なものなんです。
なるほどいまは勝ち誇っているでしょうけれど、ひょっとすればきょうのうちにももう、自分はなんという援助の道を失ってしまったんだろうと考えはじめるのは目に見えています。夜になれば、その考えはますます強くなって、夢にまで見るでしょうし、あすの朝には、ひょっとしたら、ぼくのところへ駆けつけて赦しを乞いたい気持になるかもしれません。
すると、ちょうどそこへぼくが顔を出して、『あなたは誇りの高い方です、そのことをあなたは立派に証明されました、ですから、さあ、今度は、受け取ってください、お願いします』とやるんです。これならあの人も受け取ってくれますよ!」
アリョーシャらしい発想ですね。若い証しです。世間を知れば、こうはいきません。
持てる者の驕りと弱者への気づかい
その上で、アリョーシャはこう結論付けます。
「いま大事なことは、たとえぼくたちから金を受け取っても、自分はぼくたちみんなと対等なんだという気持をあの人に植えつけることなんです」
アリョーシャはうっとりした調子でつづけた。
「ただ対等というだけじゃなく、一段上に立っているくらいなんです……」
アリョーシャの気持ちも分かりますが、まだどこか上から目線ですよね。
リーズもそう感じたらしく、次のように返します。
でもねえ、アレクセイさん、そういうわたしたちの考えの中に、というのは、つまりあなたの考え……じゃない、やっぱりわたしたちの考えだわ……その中にその人、その不幸な人を見下げているようなところはないかしら……つまり、いまわたしたちはその人の心の中をあれこれ分析したわけだけれど、何か上のほうから見おろすような調子はなかったかしら、どう? たとえば、あの人が今度はお金を受け取るにちがいないなんて、いま頭から決めこんでしまったけど、どうかしら?」
「いや、リーズ、見下げてなんかいませんよ」
まるでその質問を予期していたかのように、アリョーシャはきっぱりと答えた。
「そのことはもう、ここへ来る途、自分でも考えてきたんです。ぼくら自身があの人と同じ人間だというのに、いや、だれもがあの人と同じ人間だというのに、どうして見下げるなんてことが考えられるんです。だって、ほんとうにぼくらはあの人と同じ人間で、とくにすぐれているわけじゃないんですもの。もし仮にすぐれていたとしても、あの人の立場に置かれたらやはり同じことですよ ……
リーズ、あなたはどうか知りませんけど、ぼくは自分のことを、いろんな点で心のちっぽけな人間だと考えているんです。ところがあの人はちっぽけどころか、むしろ実に思いやりのある心の持主なんです……
いいや、リーズ、ここにはあの人に対して見下げるなんて気持はこれっぱかしもありませんよ!
ねえ、リーズ、長老さまがいつかおっしゃったことがあるんです。人間というものはだれでも、ちょうど子供を見るように面倒を見てやらなければいけない、ある者に対しては、それこそ入院している病人の世話を見るようにしなくてはいけないって……」
アリョーシャの気づかいは本物です。
しかし、相手を気遣えるのは、、いろんな意味で恵まれているからです。
そう考えると、アリョーシャの思いやりは、持てる者の驕りと言えなくもないです。優しさには変わりないですが。
こうした事は、現代の福祉や支援も同様です。
支援する方は、親切心かもしれませんが、もう一方から見れば、相手に見下されているように感じることもあります。
「お金をあげれば、人は納得する」というのは、持てる者の傲慢であり、スネギリョフとイリューシャの心の傷は見舞金では購えません。たとえ生活が楽になっても、誇りを傷つけられたこと、また施しを受けた事実は一生残るでしょう。
だとしても、無関心でいるよりは、積極的に関わっていく気持ちが大事で、交流を重ねるうちに、一家が心を開いてくれることもあるかもしれません。
これを機に、アリョーシャの中に、現実社会に対する新たな知見が生まれたのは確かで、それは13年後の「ある出来事」において結実します。
しかしながら、詳しい経緯は幻の続編「第二の小説」に書かれているので、現代の読者は想像するより他ありません。
現実の不条理と庶民の苦しみに対して、アリョーシャがどのような方法を採ったのかは、ドストエフスキーと神のみぞ知るです🙏