江川卓『カラマーゾフの兄弟』は滋賀県立図書館にあります詳細を見る

    【32-2】 僕は神を認めないんじゃない、神の創った世界が認められないんだ

    • URLをコピーしました!
    イワンは出立前の思い出作りにアリョーシャと「神はあるのか、ないのか」の議論を交わします。「ぼくは神を認める。だが神の創った世界は認められない」と断言するイワンの理由は何なのか。一方、神に救われたがっているイワンの心情が垣間見える名場面の序章です。
    目次 🏃‍♂️
    [blog_parts id="346"]

    神は人間が考え出したもの

    章の概要

    アリョーシャは料亭≪みやこ≫でイワンと食事を共にします。イワンはカチェリーナとの別れをきっかけに、明日にもモスクワに旅立つ予定です、

    そして、その前に、大好きなアリョーシャとゆっくり語り合いたいと打ち明け、二人の選んだテーマが「神はあるのか、ないのか」の続きです。

    『第Ⅴ編 ProとContra / 第3章 兄弟相識る』では、有名な大抒情詩『大審問官』に連なる神の議論が交わされます。本作の要のようなパートです。

    ● 【19】 「神はあるのか」「いいえ、ありません」「イワンのほうが正しいらしいな」
    父フョードルがイワンとアリョーシャに問いかける「神はあるのか?」。アリョーシャは「あります」と答え、イワンは「ありません」と断言、フョードルはその答えに納得して「イワンのほうが正しいらしいな」とつぶやく有名な場面です。
    ● 【27】カチェリーナとうわずりの愛 ~気位の高い女とイワンの別れ
    心の底ではイワンを愛しながらも、自分のプライドからドミートリイと結婚しようとしているカチェリーナの本性を知ったイワンは激しい言葉で三行半を突きつけます。愛より自分の面子を優先するカチェリーナの気位の高さが垣間見える場面です。

    動画で確認

    映画『カラマーゾフの兄弟』(1968年)より。(1分クリップ)

    料亭≪みやこ≫のテーブルで語り合うイワンとアリョーシャ。原作に忠実に「個室ではなく、衝立で仕切られた席」「窓際」が再現されています。
    テーブルに置かれた陶器も味わい深くていいですね。昼間からシャンペンが彼らの階層を物語っています。他のテーブルで食事している人たちのオーダーはもっと質素。つまり彼らは衝立で仕切られた向こうの特権階級ということです。

    この場面は、カメラワークもいいです。作る側も力が入ってるのが分かります。

    料亭≪みやこ≫の場面、冒頭から通して観たい方はYouTubeからどうぞ。(1時間7分~)
    https://youtu.be/z_U-juAzXik?t=4063

    神は人間が創り出したもの

    食事を共にして、すっかり打ち解けると、イワンはアリョーシャが『神』について討論したがっている気持ちを察し、次のように切り出します。

    「それよりどうだい、何からはじめる? おまえから決めてくれよ、――神からにするかい? 神は存在するや否や? からかい」

    「どちらでも好きなほうからはじめてください、《別の一端》からでもいいですよ。だけど兄さんはきのう父さんのところで、神はないって言い切ったじゃありませんか

    それについて、イワンは、「わざとおまえを焚きつけるつもりだった」と断りを入れた上で、「(もしかしたら)ぼくだって神を認めるかもしれないんだぜ」と意味深なことを口にします。

    いいかい、十八世紀のころ、ある罪深い爺さんがいて、もし神がいないとすれば、それを考え出す必要がある、つまり S'il n'existait pas Dieu, il fau-drait l'inventer(ヴォルテールの言葉)とのたまわったんだ。

    事実、人間は神を考え出したよ。

    だが、ここで不思議でもあり、驚嘆にも値するのは、神が実際に存在するということじゃなくて、そういう考え、つまり神はどうしても必要だという考えが、人間みたいに野蛮で性悪な動物の頭によくまあ忍び込めたということなんだ。

    例えば、学校で、掃除の仕方で揉めたら、クラスに調和をもたらす為にルールを作りますね。月曜日はA班が教室掃除、B班がトイレ掃除。火曜日は逆、みたいに。そのように明文化しないと、人はどうしたって争い始めます。「あいつらだけ楽してズルい」「なぜ私ばかりトイレ掃除??」 個々の自主性に任せても、いずれ配分やスケジュールをめぐって揉め事になるのが目に見えているので、クラスに調和をもたらすには、明確なルールが不可欠ということです。

    人間社会においては、キリスト教や聖書がその役割を担っています。「盗むなかれ」「殺すなかれ」。こうした共通の価値観があればこそ、社会秩序も保たれているわけで、個々の自主性に任せれば、いずれ憎悪や嫉妬が渦巻いて、暴動になるでしょう。キリスト教でなくても、道徳や法律など、様々な形でルールと指針を設け、統制を測っているのが現状です。

    つまり、人間とは、そういうもの。

    好き勝手に任せていたら、動物みたいに、争い事を始める。

    神(なるもの)はどうしても必要である所以です。

    僕は神を認めないんじゃない、神の創った世界が認められないんだ

    神は必要と認めた上で、イワンは次のように自説を展開します。

    もし神が存在して、ほんとうにこの地球を創造したのだとすれば、われわれにはっきりわかっているように、神はこの地球をユークリッド幾何学(Wiki参照)にもとづいて創造し、人間の知能をも、三次元の空間しか理解できないように創造したということになるんだ。

    ところが幾何学者や哲学者の中には、全宇宙が、というより、もっと広く言えば――全存在が、たんにユークリッド幾何学にだけもとづいて創造されたということに疑いを抱く人間が昔からいたし、いまでもまだいるんだ、それももっともすぐれた学者たちの中にさえいるんだ、なかには、ユークリッドによればこの地上では絶対に交わることのない二本の平行線も、どこか無限のかなたでは交わるかもしれないといった大胆な空想(注解参照)をする者もいるのさ。

    そこでね、アリョーシャ、ぼくはこう決めてしまったんだよ、この程度のことさえ理解できないというのに、どうしてぼくに神の問題が究められようとね。ぼくはおとなしく白状するよ、ぼくにはそんな問題を解決する能力はまったくない、

    ぼくにさずかっているのはユークリッド的、地上的な頭脳でね、この世のことに属さない問題なんか、どだい解けるわけもないんだ。おまえにも忠告しておくがね、アリョーシャ、そんな問題はけっして考えないことだぜ、何よりいけないのは神の問題、つまり、神はありやなしや? の問題さ。

    こういうのはもともと三次元の観念しか持てないように創られた人間の頭脳にはてんから不向きな問題なんだ。

    そういうわけだから、ぼくは神を認める、それもたんに喜んでそうするばかりじゃない、さらに進んで、われわれにはまったくはかりがたい神の英智も、神の目的も認めるんだ、人間の生活の秩序も意義も信ずる、やがてはわれわれ全員がひとつに融合するとかいうあの永久調和も信ずる、また全宇宙がそれをめざし、それ自体が《神とともにあり》、それ自体がすなわち神であるという言葉(ロゴス)(注解参照)も信ずるんだ、そのほかそういったたぐいのことはいくら出てきても全部信ずるよ。

    ところが、驚くなかれ、最終的な結論としてはだね、ぼくはこの神の世界を認めないんだ。むろん、この世界が現に存在していることぐらい、ぼくだって知っている、だが、それでもぼくにはそれがまったく容認できないんだ。

    ここはぜひともわかってほしいところだけれど、ぼくは神を認めないんじゃないぜ、ぼくには神の創った世界、いわゆる神の世界ってやつが認められないんだ、認める気になれないんだ。

    「ユークリッド幾何学」云々で躓きがちですが……

    多くの人間は、この世界を「三次元の空間しか理解できない」――自分の目で見えるものがすべて、ということです。

    中には、石清水の音にも神を見いだすような、宗教家や文化人のようなタイプもいますが、多くの人は、地上で起きる、目の前の事象しか関心がありません。儲かればウハウハ、恋人ができればハッピー、それ以上の意味や価値について考えないのが圧倒多数でしょう。

    そうした人間に「神はあるのか、ないのか」「神とは何なのか」ということを真剣に論考することは出来ないし、たとえ出来たとしても、人間社会のルールで、心の問題を救済することはできません。結婚生活は、その典型です。結婚制度は法律で保障されていますが、永遠の幸福を約束するものではありません。幸せになれるかどうかは、個々の心の持ち方にかかっているし、夫婦間の問題を法律が救済してくれるわけでもありません。

    つまり、「人間の考えること」には限度があり、魂が救われるには、人間の視点を超えた何か――天上から人類全体を優しく見守り、傷ついた人も、過ちを犯した人も、等しく受け止め、癒やしてくれる存在が必要です。

    すなわち、「神」です。

    ゆえに、イワンは「神なるもの」の存在は認める。

    でも、「神が創った世界」――信じれば救われますよ、神に背けば地獄に落ちますよ、祈れば誰もが幸福になれますよ――という、神を前提とした現実社会を認めることはできない。

    祈ったところで、飢えた人が救われるわけではないし、むしろ、信仰のために、いっそう咎を負い、むざむざ殺される人もいる。その不条理はどう解決するのか? というのがイワンの命題です。「ぼくはただ(天国への)入場券をつつしんで神さまにお返しするだけなんだ」と結論づける所以です。

    ちなみに、「神の創った世界」とは、【天地創造によって作られた、この大地】ではなく、「キリスト教が規範になった世界」です。

    それに対して、アリョーシャは次のように問いかけます。

    「どうして『この世界を認めない』のか、そのわけは説明してくれるんでしょうね」

    それに対するイワンの答えは次の通り。

    ぼくはおまえを堕落させたり、おまえの信念をぐらつかせたりしようとしているんじゃないぜ。ことによると、ぼくのほうがおまえの力で治療してもらいたいのかもしれないんだ」イワンはこう言うと、ふいに幼い素直な少年のような微笑を顔に浮かべた。アリョーシャは兄のこんな微笑をまだ一度も見たことがなかった。

    「おまえの力で治療してもらいたい」というのは、『第Ⅱ編 場違いな会合』で、イワンが神父らの前で「神がなければ、全てが許される」理論を口にした時、ゾシマ長老がイワンの高潔さを見抜き、「まだ地上におられるうちに、あなたの心の苦しみの解決があなたを訪れ、神があなたの行路を祝福されますように!」と祈り、励ます言葉に続きます。
    (参考→ 【11】 神がなければすべてが許される? イワンの苦悩とゾシマ長老の励まし

    否定的なことを口にしながらも、神に一番救われたがっているのは、イワン自身なんですね。

    そして、この話は、大審問官へと繋がっていきます。


    当サイトでも繰り返し述べていますが、イワンは無神論者ではなく、現実の不条理に耐えられなくなって、キリスト教が治めるこの社会に背を向けた一人です。堕落した背徳者でもなければ、冷笑系のアナーキストでもありません。

    それはむしろスメルジャコフの方で、彼こそ本物の悪魔です。そして、信義に揺れるイワンに父フョードルとドミートリイの秘密をあれこれ囁きかけます。

    イワンこそ、ずっとアリョーシャの側に居るべき人間であり、そこでモスクワ行きを強く引き留めることができなかった事実が、後に、アリョーシャを救済に駆り立てる一つの理由ではないでしょうか。

    1968年の映画版、イワン兄さん、すごくいい人です。(23歳にはとても見えないが)


    大審問官に連なるイワンとアリョーシャの「神はあるのか」談義は、喩え話も多いので、特に難解なパートです。
    しかし、現実の戦争犯罪に置き換えれば、イワンが何に憤り、Noを突きつけているのか実感できると思います。
    猟犬の群れに子供を惨殺された母親と犬将軍が抱き合うことが永遠の調和としたら、僕はそんなまやかしの幸福は要らないと叫ぶイワンの心情を、ウクライナ侵攻になぞらえて解説してみました。
    社会的に処すことと魂の救済は違う、という話です。参考にどうぞ。

    あわせて読みたい
    お探しのページはありません | ドストエフスキーの世界 お探しのページは削除したか、URLを変更したかもしれません。

    江川卓の注解

    大胆な空想

    「ユークリッドによればこの地上では絶対に交わることのない二本の平行線も、どこか無限のかなたでは交わるかもしれない」と考えた、ロパチェフスキーの論を引き合いとして。

    ロシアの数学者ロパチェフスキー(1792―1856)は非ユークリッド幾何学の考え方を1826年に発表したが、それが一般に認められるようになったのは彼の死後、六〇年代になってからだった。ドストエフスキーはすでに工兵士官学校時代にロパチェフスキーの理論を知っていた可能性がある。

    言葉(ロゴス)

    イワンの台詞「やがてはわれわれ全員がひとつに融合するとかいうあの永久調和も信ずる、また全宇宙がそれをめざし、それ自体が《神とともにあり》、それ自体がすなわち神であるという言葉(ロゴス)も信ずるんだ」より

    ここに引かれているのは、ヨハネ福音書の冒頭の一節で(引用記号内は教会スラヴ語で書かれている)、「太初めに言葉あり、言葉は神とともにあり、言葉はすなわち神なりき」と書かれており、ここで使われている「ロゴス」という言葉は、当時の哲学用語で「先在のキリスト」をさすとわれている。
    このパートを縦書きPDFで読みたい方は下記リンクからどうぞ。PC・タブレット推奨。閲覧のみ(59ページ)
    第Ⅴ編 ProとContra 兄弟相識る / 反逆 / 大審問官 (Googleドライブ)
    誰かにこっそり教えたい 👂
    • URLをコピーしました!
    • URLをコピーしました!
    目次 🏃‍♂️