江川卓『カラマーゾフの兄弟』は滋賀県立図書館にあります詳細を見る

    【22-1】カチェリーナの自己愛とドミートリイの訣別 ~女の意地は悪魔より強い

    胸を叩くドミートリイ カラマーゾフの兄弟
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    目次 🏃‍♂️

    ドミートリイの訣別

    章の概要

    3000ルーブリの使い込みと三角関係に苦悩するドミートリイに懇願され、アリョーシャは婚約者カチェリーナを訪問し、もはや戻る気のないドミートリイの心情を伝えますが、カチェリーナは悠然と構えて、気に病む様子もありません。奇異に感じていると、そこにはグルーシェンカが招かれていました。すでに女二人の話し合いで、グルーシェンカは「ドミートリイとは結婚しない」と約束していたのです。

    ところが、カチェリーナがグルーシェンカの手の甲に親愛の情をこめてキスすると、グルーシェンカは彼女の行為を嘲笑い、キスのお返しもせずに立ち去ります。

    その事をアリョーシャから伝え聞いたドミートリイは大笑いし、これからは、別々の道を行く、アリョーシャにもこれ以上会うことはないと告げます。

    が、別れの間際、ドミートリイは、拳固で自分の胸を叩き、「ここに恐ろしい破廉恥と卑劣漢が用意されている」と意味深なことを口にします。

    『第Ⅲ編 好色な人々 / 第11章 もう一つ、失われた名誉』では、カチェリーナの心底を知ったドミートリイが心を決め、カラマーゾフ家から去ると宣言する過程が描かれています。

    動画で確認

    映画『カラマーゾフの兄弟』(1968年)より。(1分動画)

    アリョーシャに別れを告げ、「おれを見てくれ、じっと見てくれ、いいか、ほら、ここだ、ここのところに――恐ろしい破廉恥が用意されているんだ。(『ほら、ここだ』と言いながら、ドミートリイは拳固で自分の胸を叩いてみせた」の個所。

    ちなみに、ドミートリイが胸元に隠し持っているのは、1500ルーブリの入った守袋。カチェリーナがドミートリイに預けた3000ルーブリの一部です。カチェリーナがドミートリイに預けたお金は、モークロエの豪遊で全額使い果たしたように思われていますが、実際は半分しか使われておらず、残りの1500ルーブリはアグラフェーナの為に使う算段でした。しかし、婚約者から預かったお金を、新しい愛人と散財した挙げ句、その残り分を新しい愛人の為に使うなど、あまりに虫が好すぎますね。ドミートリイが自分のことを「卑劣漢」と呼ぶ所以です。

    「モークロエの豪遊と1500ルーブリ」の事は、フョードル殺しの取り調べ、『第Ⅵ編 予審 / 第7章 ミーチャの大秘密――一笑に』で描かれた在す。

    補助として、『カラマーゾフの兄弟(まんがで読破) Kindle版』も参考にしてみて下さい。

    原作とは異なる個所も多いですが、全体像を把握するには役立つと思います。

    まんがで読破 カラマーゾフの兄弟 ドミートリイのお金

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    ドミートリイの三角関係と3000ルーブリの使い込みに関する経緯は、下記URLをご参照下さい。

    エピソードを読む
    ドミートリイの告白 ~3000ルーブリをめぐるカチェリーナの愛憎とフョードルの金銭問題 フョードル殺しの発端となる3000ルーブリの使い込みと、カチェリーナ&グルーシェンカをめぐる色恋について箇条書きで解説。この経緯が理解できないと物語全体を見失うので...

    カチェリーナの自己愛 ~ドミートリイより自分が好き

    カラマーゾフ初心者にとって、一番理解しがたいのは、「いったいドミートリイはカチェリーナを愛しているのか、いないのか」、また「カチェリーナは、ドミートリイとイワンのどちらに心惹かれているのか」という点でしょう。ドストエフスキーの文章は喩え話が多い上、エピソードがあちこちに飛ぶので、全編を読み通すまで、実体は見えてこないと思います。

    しかし、この章まで来ると、少しドミートリイの本音が見えてくるのではないでしょうか。

    「手の甲に接吻」を知ったドミートリイは、大笑いして言います。

    ※ 一部、省略しています。

    「あの女のこともわかっている、腹の底まで見とおしだ、なんて思いきったことをしたもんだ! 

    あのときのカーチェンカそのままじゃないか、父親を救おうというおおらかな考えのために、恐ろしい辱しめを受ける危険もものかは、もののわからない乱暴者の将校のところへ恐れげもなく乗りこんでいったあの女学院生とちっとも変っちゃいない! 

    それにしても見上げたプライドだよ、たいした冒険心だ、運命への挑戦というか、無限への挑戦だな! 

    『わたくし、なんでも征服してみせます、なんだって思うままです、その気になれば、グルーシェンカだってなびかせてみせます』ってわけなのさ。

    で、自信満々、武者ぶるいせんばかりだったんだよ、だれをうらむわけにいくかい? 

    あれのほうが最初にグルーシェンカのお手々を接吻したのには、魂胆があった、何か狡猾な計算があったと思うかい? いや、本心からだったんだ、あれは本心からグルーシェンカに惚れてしまったんだよ、いや、正確に言うと、グルーシェンカにじゃなくって、自分の夢想に、自分の幻想に惚れこんでしまったんだ、なぜって、あれはわたしの夢、わたしの幻想なんだものな! 

    アリョーシャ、それにしてもよくまああの二人から、あんな連中のところから無事に逃げてこられたなあ! 法衣の裾(すそ)をからげて、命からがら逃げのびたというところだろうが? は、は、は!」

    早い話、ドミートリイの気持ちなど、どうでもいい。悲劇のヒロインになって、「自分の夢想に、自分の幻想に惚れこんでしまった」というわけです。

    現代社会でも、こういう女性はいますね。

    「動物が好きというよりは、ワンコを可愛がる自分自身が好き(あるいは他人にアピールしたい)」

    「家族が好きというよりは、"家族に尽くす素敵なママ"の私が好き」

    対象よりも、自分自身のイメージや評判の方が100倍大事なタイプです。

    こういう女性と付き合うと、最初は居心地がいいかもしれませんが、だんだん虚しくなってきます。なぜなら、彼女が本当に愛しているのは、自分自身だからです。

    カチェリーナにしても、「男性に理解があり、女神のように気高く、寛容な自分自身」に酔っているだけ。たまたま、目の前にドミートリイがいたから、愛の対象にしただけで、ドミートリイのために命を懸けるような、ひたむきさはありません。ドミートリイの幸福よりも自分の評判、ドミートリイの苦悩よりも自分の沽券、それが全てです。

    だから、ドミートリイはカチェリーナを心から愛することはできないし、たとえ結婚しても、幸福にはなれないと感じています。

    彼が、カチェリーナとは対照的で、自分の感情に正直なグルーシェンカを選んだのも、当然至極と言えましょう。

    そして、カチェリーナも、ドミートリイの愛が自分には無いことを心の底では分かっています。でも、認めたくありません。自分が、愛されるに値しない女とは思いたくないし、何より、グルーシェンカのような卑しい女に負けたくないからです。

    ドミートリイの望み通り、婚約解消して、ドミートリイがグルーシェンカと結ばれたら、「カチェリーナは淫売にも劣る」という噂が立ちますね。それこそカチェリーナには死にも等しい屈辱です。だから余計で、ドミートリイとの婚約に拘るわけです。心底から、ドミートリイという男性を慈しみ、結婚したいわけではありません。

    結局、彼女の苦しみは、自分のプライドから生じていて(ドミートリイが浮気して、彼女の心を傷つけたのも確かですが)、潔く現実を認め、ドミートリイを自由にすれば済む話です。カチェリーナには、彼女を恋い慕うイワンもいます。本当に愛する者同士、結ばれたらいいのです。

    でも、頭でうすうす分かっていても、できないのがプライドです。

    カチェリーナは、ナルシズムに酔いしれた、面倒くさい女なのです。

    大笑いするドミートリイ。映画では宿屋ですが、小説では、夜道で話します。
    大笑いするドミートリイ カラマーゾフの兄弟

    女の意地は悪魔より強い

    一通り、話し終えると、ドミートリイは、「そうだよ、おれは卑劣漢なんだ! まぎれもない卑劣漢さ。だが、もういい、別れよう、おしゃべりはたくさんだ! おまえはおまえの道、おれはおれの道を行くことにするよ。だいたいこれ以上はもう会いたいとも思わない、いよいよ最後のときが来るまではな。さようなら、アレクセイ!」と突然別れを切り出します。

    そして、茫然自失とするアリョーシャに胸を叩きながら言います。

    「おれを見てくれ、じっと見てくれ、いいか、ほら、ここだ、ここのところに――恐ろしい破廉恥が用意されているんだ。(『ほら、ここだ』と言いながら、ドミートリイは拳固で自分の胸を叩いてみせた。それは実に奇妙な身ぶりで、まるでその破廉恥がほかでもないその胸のところにしまってある、ポケットか何かに入れて、でなければ、何かに縫いこんで胸にぶらさげてある、とでもいった感じだった)

    おまえももう知っているとおり、おれは卑劣漢だ、札つきの卑劣漢だ! 

    しかし、いいか、おれがこれまでに何をしたにせよ、現在、未来を通じて何をしようと――おれがたったいま、いまこの瞬間、ほら、この胸のところに持ち歩いている破廉恥の卑劣さにくらべたら、そんなものは、そんなものはものの数でもないんだ。

    それはここに、ここにあって、いまにも実行され、現実になろうとしている、だが、中止する気になればおれにはできる、思いとどまるも、実行するも、完全におれの自由なんだ、このことを忘れないでくれ! だが、はっきり知ってもらいたいが、おれは結局は思いとどまらないで、実行することになる。 

    一見、「胸に父親殺しの決意を秘めている」ようですね。

    さっきおれは洗いざらいおまえに話したが、このことだけは話さなかった、なぜかというと、そこまではさすがにおれの面の皮も厚くなかったからなんだ! 

    おれはまだ思いとどまれる、もし思いとどまれば、おれはあすにも、失われた名誉の半分を取り戻すことができる、

    しかしおれは思いとどまるまいよ、おれの卑劣なもくろみを決行するさ、だからおまえに今後は証人になってもらいたいんだ、おれが前もってこう念を押していたということのな! 

    『カラマーゾフの兄弟』が「ロシア報知」という雑誌に連載されていた頃、当時の読者は、「やっぱり、ドミートリイが殺(や)るのか?」とゴクリと唾を飲んだかもしれれません。

    しかし、実際は「犯行の決意」ではなく、カチェリーナから預かった3000ルーブリの一部です。

    ドミートリイは、モークロエでグルーシェンカと豪遊し、3000ルーブリを使い果たしたように見えますが、実際は、半分しか使っておらず、残りの半分、1500ルーブリは手もとに残し、守袋代わりに首にかけて持ち歩いていました。この事は、フョードルが殺害され、モークロエで逮捕された時、取り調べで明らかになります。しかし、その事実を、アリョーシにさえ言わなかったので、話がややこしくなりました。

    ドミートリイは胸を叩いて言います。

    この胸のところに持ち歩いている破廉恥の卑劣さにくらべたら、(過去、現在、未来を通じて何をしようと)そんなものは、そんなものはものの数でもないんだ

    それはここに、ここにあって、いまにも実行され、現実になろうとしている。だが、中止する気になればおれにはできる、思いとどまるも、実行するも、完全におれの自由なんだ

    おれはまだ思いとどまれる、もし思いとどまれば、おれはあすにも、失われた名誉の半分を取り戻すことができる

    この段階では、父親殺しを仄めかしているように見えますが、ミーチャにとって『屈辱』とは、守袋の1500ルーブリをカチェリーナに返すこともできたのに、グルーシェンカとの暮らしを考えて、返済しなかった――ということです。

    ちなみに、この出来事は、公判の時(第Ⅶ編 第4章 幸運はミーチャにほほえむ)、アリョーシャの口から次のように語られます。

    出会ったときの模様を夢中になって語りはじめた。あのときミーチャは、自分の胸を、それも《胸の上半分》を叩きながら、おれは名誉を取り戻す手だてを持っている、その手だてはここに、ここのところに、自分の胸にあるんだと、何度もくり返して言った……

    「ぼくはあのときは、兄が自分の胸を叩くのは、自分の心のことを言っているのだと思ったんです」とアリョーシャはつづけた。

    「兄が直面させられていて、ぼくにさえ打ち明ける気持になれなかった、ある恐ろしい汚辱から逃れる力を、自分の心の内に見出すことができる――こういう意味に取ったんです。白状しますと、ぼくはあのとき、これは父のことを言っているんだなと思いました。父のところへ押しかけて行って、何か父に暴力をふるうことを考えていて、その汚辱に戦慄しているんだと思ったのです。

    ところが、確かに兄はあのとき、自分の胸にある何かをさすようなそぶりをして見せました。それで、ぼくの頭にはあのときとっさに、心臓なら胸のそんなところにありはしない、もっと下のほうだという考えがちらと浮かんだのを憶えているんです。

    ところが兄は、もっとずっと上の、ここらあたり、首のすぐ下のあたりを叩いて見せて、しきりとそのあたりをさしていました。

    ぼくの考えはあのときはつまらないものに思えたのですが、でも兄は、ひょっとするとあのとき、例の千五百ループリを縫い込んだ守袋をさしていたのかもしれません!……」

    ≪中略≫

    たぶん兄が汚辱と言ったのは、その気になればカチェリーナに返すことのできる、負債の半分にあたる千五百ルーブリを身につけていながら、結局のところその半分を返さないで、ほかの目的、つまり、グルーシェンカが承知してくれた場合の駆けおちの費用に当てる決心をしたことをさすのに相違ない……

    ≪中略≫

    カチェリーナさんへの借金の半分を(そう、半分なんです!)返して、あの人に対して、泥棒にならずにすむ手だてを持ちながら、結局は金を返す決心がつかず、金を手放すくらいなら、むしろあの人から泥棒と見られるほうがいいとまで思ったことを、自分の生涯のもっとも汚辱にまみれた行為だと考えているって! あの借金のことでは、兄はどんなにか、どんなにか苦しんだことでしょう!」

    しかし、この証言は、ミーシャの救いにはなりませんでした。かえって、カチェリーナのプライドを傷つけ、決定的に不利な証言に繋がるからです。

    ドミートリイの運命は、最後までカチェリーナに振り回され、無実の罪が晴らされることはありませんでした。

    「カチェリーナは心からドミートリイを愛しているわけではない」という事実は、皮肉な形で証明されたのです。

    では、ドミートリイは、カチェリーナの機嫌を取って、彼女の望むままに結婚してやればよかったのでしょうか。

    それも間違いでしょう。シベリア流刑より、もっと恐ろしい不幸が彼らの結婚生活を破壊したかもしれません。

    こうした男女の機微は、それなりに経験がないと理解しにくいですが、「愛しながら憎む」「憎みながらも愛する」というのは、人間の本質を突いていると思います。何故なら、人間界の愛とは、自我と他愛の戦いに他ならないからです。

    本作は、多くの場面で、信仰について語られていますが、ドミートリイの場合、信仰以前の問題で、女の意地とプライドで破滅させられることを考えると、「女の意地は悪魔より強い」と思わずにいられないのです……

    江川卓による注解

    『金か、命か! 」

    カチェリーナの家を出た後、夜道をとぼとぼ歩くアリョーシャを掴まえて、ドミートリイが口にする台詞。

    シラーの『群盗』の第一幕第二景で、盗賊の一人シュピイゲルベルヒが叫ぶせりふ。原文は La bouse ou la vie! とフランス語になっている。
    誰かにこっそり教えたい 👂
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