当サイトは『Novella 文芸』の姉妹サイトです。『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』を中心に、ドストエフスキーの作品を読み解くコラムを掲載しています。翻訳者・江川卓(原卓也先生も含む)の推し活も兼ねています。冗長・難解・まわりくどいで知られるドストエフスキーの名作を少しでも身近に感じて頂けたら嬉しいです。
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真理は人間を自由にするはずだった → 自惚れから悪魔の側へ
「人間たちは、かつてのいかなるときにもまして、自分たちが完全に自由であると信じ切っておるのだ。そのくせ彼らは自分からすすんでその自由をわしらに捧げ、うやうやしくわしらの足もとに献呈してしまっておるのだがな」ここでいう『自由』というのは、「束縛されない」ではなく、「何でも好きなことができる選択の自由」の意味だ。即ち『原罪』の延長でもある。 -
無垢な涙の上に万人の楽園を築けるか?
アリョーヤの視点は、当事国から一歩離れて、調停する側にある。調停者はジャッジはしない。A国もB国も、それぞれに主張があり、どちらが正しいかジャッジを持ちこむ限り、問題は永遠に解決しないからだ。そうではなく、それぞれの言い分、それぞれの間違いを受け入れつつ、平和に導く。イエス・キリストは、そうした高次的な存在であり、当事国の理屈で解決しないものを平定する為に正義を説いている。 -
ProとContra の注釈 ~肯定と否定、世界を形作る二つの相反する価値観
肯定と否定。人は迷いや不安を解消する為に「どちらか一つ」を選ぼうとするが、私たちは双方と上手に付き合うことによってしか地上に存在しえないように感じる。イワンのように、否定ばかりでは心がもたないし、アリョーシャのように、あまりに心が清らかだと、かえって物事が混乱するかもしれないから。 -
イワンとアリョーシャの兄弟愛 江川卓の『謎とき カラマーゾフの兄弟』より ~桜んぼのジャムのエピソード
イワンとアリョーシャが大審問官について語り合う場面に登場する『桜んぼのジャム』を実際にロシアで食して感激した江川先生のエピソードを紹介。天国への入場券をつつしんでお返しするというイワンの心情と、カラマーゾフの血を受け継ぐアリョーシャの皇帝暗殺に関するコラムです。 -
⑨ いかにして我は無神論者となりしか ~不条理な現実とイワンの義憤 《原卓也のカラマーゾフ随想》
イワンの出立を前にアリョーシャは居酒屋で兄弟の会話を楽しむ。イワンの人生観、神への問いかけなど、本作の心髄が凝縮された名場面。『神も悪魔も存在しない ~イワンの無神論』『人生のどんな嫌悪にも、俺の若さが打ち克つ』『神は人間が考えだしたもの』『子供の犠牲の上に天国が築けるが』『天国への切符を慎んでお返しする』『神とは、赦す存在』『人間を愛するか、世界を愛するか』『大審問官に続く重要な問いかけ』