江川卓『カラマーゾフの兄弟』は滋賀県立図書館にあります 詳細を見る

【22-2】アリョーシャの祈り ~皆に愛と救いが訪れるように

ゾシマ長老にキスするアリョーシャ カラマーゾフの兄弟
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目次 🏃‍♂️

アリョーシャの祈り ~皆に愛と救いが訪れるように

章の概要

カチェリーナの自己愛とドミートリイの訣別 ~女の意地は悪魔より強い』の続きです。

カチェリーナがグルーシェンカを家に招いて、和解し、あたかもドミートリイの全てを許したかのように振る舞ったことを知り、ドミートリイは、カチェリーナの利己的な心底を見抜きます。カチェリーナは、自分の意地から、婚約をキープしたいだけで、ドミートリイを心底から愛しているわけではありません。そんな女性と一緒になっても、お互い不幸になるのが目に見えています。

これが潮時と悟ったドミートリイは、自分の胸を叩いて、「ここのところに恐ろしい破廉恥が用意されているんだ」と言い、家族への別れを告げて、アリョーシャの前から去ります。

アリョーシャは茫然自失として僧院に戻りますが、心の支えであるゾシマ長老も死の床にあり、アリョーシャはただただ祈るしかありません。

『第Ⅲ編 好色な人々 / 第11章 もう一つ、失われた名誉』では、皆の幸福を願うアリョーシャの優しい心情が描かれています。

動画で確認

映画『カラマーゾフの兄弟』(1968年)より、1分動画。

ゾシマ長老に泣きつくアリョーシャ。

原作では、「お目をさますのもむずかしいほどじゃ」という状態ですが、映画はずいぶん血色がいいです😙 まあ映画ですから。

ゾシマ長老 カラマーゾフの兄弟

TVドラマ(2007年)より。

リーズからの手紙を読むアリョーシャ。

リーズからの手紙を読むアリョーシャ

ドラマ版は、より原作に忠実で、ほとんど瀕死の状態にあるゾシマ長老をアリョーシャが無言で拝礼し、その後、自室に戻って、リーズの手紙を読む場面が描かれています。
リーズとの結婚だけはやめとけ、、と思いますが、、、アリョーシャも若いですね(おばちゃん、心配しちゃう~)

https://youtu.be/2ZbjNW5unCU?t=2449

行動の愛のために ~俗界に還俗する意味

【22-1】カチェリーナの自己愛とドミートリイの運命 ~女の意地は悪魔より強い』の続きです。

ドミートリイと別れると、アリョーシャは僧院に帰り着きます。

ゾシマ長老はすっかり衰弱し、死の床にありました。

ゆっくり話すことも叶わず、アリョーシャは不安でいっぱいです。

そんなアリョーシャに、パイーシイ神父は言います。

「すっかり衰弱されてな、嗜(し)眠(みん)状態に入られたようだ」

アリョーシャに祝福を与えてから、パイーシィ神父が小声でささやいた。

「お目をさますのもむずかしいほどじゃ。わざわざお起しするまでもないがな。先ほど、五分間ばかり目をさまされて、僧たちに祝福を伝えられ、夜の祈祷の折にはご自分のことを祈ってくれと頼まれた。あすもう一度聖体をいただかれるおつもりらしい。

おまえのことも思い出されてな、アレクセイ、もう出て行ったかときかれるので、町におります、とお答えするとな、『そうするようにわしはあれを祝福してやったのじゃ。あれのおるべき場所はあちらで、当分はここでない』と、おまえのことをおっしゃられた。たいそう愛情のこもった、いかにも気づかわしそうなおっしゃりようでな、それがどんなにありがたいことか、おまえにはわかるかな? 

それにしても、どうしておまえを当分俗界に置くように定められたのかな? これはつまり、おまえの運命について何か予見されたことがあるのだな! 

だがな、アレクセイ、身はたとえ俗界に戻るとも、それはおまえが自身の長老によって授けられた服従の義務と考えるがよいぞ、けっしてむなしい俗界の歓楽や軽はずみな行ないのためではないとな……」

僧院はお前の居るべき世界ではない』(第Ⅱ編 第6章 出世好きの神学生)でも語られるように、アリョーシャにとって本当の修業とは、二人の兄の側に居て、カラマーゾフ一家を救うこと。ゾシマ長老の口から、それを聞かされた時は、アリョーシャも動揺し、深い悲しみに包まれましたが、今ではその意味を理解し始めています。

その心情を、本作は次のように綴っています。

彼は自分の法衣だけを脱いで、毛布代りにそれにくるまることにしていた。けれど、床につく前に、彼はつと膝立ちになって、長いこと祈りを捧げた。
その熱烈な祈りの中で、彼は神に対して自分の迷いをといてくれるように乞うことはしなかった、彼が求めたのはただ、神の栄光をたたえた後に、これまでならいつも彼の心を訪れたあの感動、あの喜ばしい感動だけであった。

「迷いをといてくれるように乞うことはしなかった」というのは、ゲッセマネの祈りに似ていますね。
(参考 新約聖書と西洋絵画で読み解く 【ゲッセマネの祈り】 ~決然と生きる 現代のゲッセマネの園

イエスは、ローマ兵に捕らえられることを予感します。しかし、「父(神を指す)よ、お望みなら、この杯(苦難と死を意味する)をわたしから取りのけてください。でも、わたしの望みではなく、あなたの意思のままに行ってください」と、運命を神の御手に委ねます。

アリョーシャもいまだ迷いはありますが、「自分でこうしよう」と決めるのではなく、神の望むままに委ねます。それは意志を放棄することではなく、自我よりも慈愛、我欲よりも神の義を重んじる気持ちです。

迷いの時に「自我を離れる」というのは、仏教の「無の境地」に似たものがあります。

リーズからの恋文 ←天下の悪妻

祈りが終わると、アリョーシャはリーズからもらった手紙に気がつきます。

そこには、熱烈な愛の告白が綴られていました。

いとしいアリョーシャ、わたしはあなたを愛しています、子供のころから、モスクワにいたころから、あなたがまだいまとは全然ちがっていらしったころから愛していました、これからも生涯愛します。わたしは、あなたと結ばれ、年を老ったらいっしょに生涯を終えられるよう、あなたをわたしの心で選んだのです。もちろん、あなたが僧院を出られることが条件ですけれど。わたしたちの年齢のことでしたら、法律で許されるときまで待ちましょう。そのころまでにはわたしもきっと健康になって、歩いたり、ダンスをしたりできるでしょう。そんなことはいまさら言うまでもないことです。

昔から、「愛の大演説をする人間は信用するな」という箴言がありますが、リーズはその天恵ですね。

後半を読めば分かりますが、リーズはとんでもない悪妻になること請け合いです。

いずれ夫の浮気を疑い、「覗き見」「盗み読み」で破滅に追い込むのは間違いありません(母のホフラコワ夫人と一緒)

こんな疫病神からの恋文を嬉々として読むアリョーシャも修行が足りませんね。

その点、ドミートリイの方が、女性というものをよく知っていると思います。

2009年版TVドラマのリーズ。本当に後悔はないのか・・
リーズ カラマーゾフの兄弟

母親のホフラコワ夫人とリーズ・・・
リーズ カラマーゾフの兄弟

ちなみに、リーズの描写は、初めてホフラコワ母娘が登場する『第Ⅱ編 場ちがいな会合 / 第3章 信仰篤い農婦たち』に記載されています。

囲いの外壁に建てつけた木造の回廊の下に、きょうは女ばかりの一群、二十人ほどの農婦が集まっていた。いよいよ長老のお出ましと聞いて、待ちわびているのだった。上流の婦人のために設けられている控え室でやはり長老を待っていた地主のホフラコワ夫人も回廊に出て来た。母と娘の二人づれである。

母親のホフラコワ夫人は裕福な貴婦人で、いつも趣味のよい服を着こなし、まだ年もかなり若く、いくぶん青白い顔に、ほとんど真っ黒に近い目を生き生きと輝かせた、たいへん魅力的な顔だちの女性であった。年はまだせいぜい三十二、三歳だが、未亡人になったのはもう五年も前である。

十四歳になるその娘は、足の麻痺をわずらっていた。哀れな少女はもう半年ほど前から歩くことができなくなっていて、車のついた細長い安楽椅子に乗せられていた。病気のためにいくぶんやつれてはいるが、明るい表情のその顔はすてきに愛らしかった。長いまつ毛のかげからのぞいている、色の深い大きな目には、なにやらいたずらっぽい光が宿っていた。

母親はもう春ごろから娘を外国へつれて行く心づもりでいたが、夏に領地の整理があったため遅れてしまった。母親は信心のためというより、むしろ所用のために、一週間ほど前からこの町に逗留していたが、三日ほど前にも一度、長老を訪れていた。

そしてきょうは、長老がもうほとんどだれとも面会できないことを承知の上で、ふいにまた出向いて来て、ぜひもう一度、『偉大なる治療主に拝顔の策』を得たいからと、執拗に頼みこんだのだった。

原作のリーズと、ドラマのリーズと、ずいぶん雰囲気が違いますね ^_^;
しかし、後半を読み始めると、ぞっとするほど束縛的で、粘着質の娘だと分かります。とてもアリョーシャの心の支えになるタイプではない。
一説によると、結婚生活が破綻して、グルーシェンカと懇ろになるという予測もあるらしい。分かるような気もします。(ドミートリイは流刑先で亡くなる、という前提で)

アリョーシャの祈り

手紙を読み終えると、アリョーシャは十字を切って、長椅子に横になります。

『神さま、きょう会ってまいりました人たちすべてに憐れみをおかけください、心の安らぎを知らぬふしあわせな人たちを守り、正しい道へお向けください。あなたはすべての道をしろしめしておられます、その道を正しく示されて、その人たちをお救いください。あなたは愛であられます、どうか万人に喜びをお恵みください!』
アリョーシャは、十字を切りながらこうつぶやくうち、いつか安らかな眠りに落ちていった。

心の安らぎを知らぬふしあわせな人たちを守り、正しい道へお向けください・・

特に、ドミートリイとイワンは重症ですね。

フョードルは道化になれる分、救いがありますが。

事実だけ見れば、ドミートリイの冤罪は晴れず、イワンも理性を失って、半病人になってしまいますが、ドミートリイは運命を受け入れ、前向きな気持ちでシベリアに旅立ちますし(グルーシェンカの愛も得た)、イワンもいつかは回復して、素直になったカチェリーナと結ばれるでしょう(多分)

魂の上では、アリョーシャの祈りは通じたといえるし、そういう意味では、皆、恵みを得た神の子なんですよね。キリスト教的には。

誰かにこっそり教えたい 👂
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