江川卓『カラマーゾフの兄弟』は滋賀県立図書館にあります詳細を見る

    【序文】「カラマーゾフの兄弟」の全てが凝縮した『作者より』と二部構成の謎

    カラマーゾフの兄弟 第一編 作者
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    『カラマーゾフの兄弟』は二部構成である

    ドストエフスキー、最後の長編『カラマーゾフの兄弟』は、物語の主人公、アレクセイ・フョードロヴィチ・カラマーゾフの身上に詳しい≪書き手≫(語り部)の回想録から始まります。

    この人物が何ものであるか、作中では一切明らかにされていませんが、アレクセイの振舞をつぶさに見つめ、カラマーゾフ家の内情にも詳しい人物であることは確かです。

    ≪書き手≫は言います。

    わが主人公アレクセイ・フョードロヴィチ・カラマーゾフの一代記をはじめるにあたって、私はある種のこだわりを覚えている。ほかでもない、なるほど私はアレクセイ・フョードロヴィチをわが主人公と呼んではいるが、実をいうと、およそ彼が大人物などといえた柄ではいのは当の私がよく承知していることで、となれば当然、次のような種類の質問を避けるわけにいくまいと覚悟するからである。

    いったいそのアレクセイ・フョードロヴィチにどんな見どころがあって、あなたは彼を主人公に選ばれたのか? 

    そもそも彼は何をした男なのか? 

    どういう人に、どんなことで知られているのか? 

    一読者たる自分が、彼の生涯の諸事件の究明などに時間をつぶさなければならないのはどういうわけなのか?

    その理由についても、作中では一切明らかにされていません。

    なぜなら、≪書き手≫の真の主題は、我々が『カラマーゾフの兄弟』と呼んでいる既出の小説ではなく、ドストエフスキーが急逝した為に、書かれずに終わった『第二の小説』、いわば幻の続編にあるからです。

    予告された皇帝暗殺 ~江川卓のドストエフスキー解説より』でも紹介しているように、『カラマーゾフの兄弟』は二部構成からなります。

    その事について、≪書き手≫は次のように言及しています。

     ところが困ったことに、私の場合、一代記のほうはもともと一つなのに、小説は二つになっているのである。中心になるのは第二の小説で――これは、わが主人公の現代における、つまり、いま現在の時点における活動を扱っている。第一の小説のほうは、もう十三年も前の出来事で、ほとんど小説といえるほどのものでもなく、わが主人公の青春期のほんの一モメントを描いているにすぎない。ところが、この第一の小説を抜きにすると、第二の小説にわからないところがたくさん出てくるので、これはできない相談である。さて、そういうわけで、私の当初の困難はますます厄介なものになってくる。
     だいたい当の伝記作者である私自身が、あまりぱっとしたところもなく、いっこうにつかまえどころもないこんな主人公のためには、一編の小説だけでも余分なくらいだと考えているのに、それをぬけぬけと三編も仕立てるのはいかがなものかと思われるし、だいいち私のこれほどの思いあがりをどう説明したものだろう?

    我々が『カラマーゾフの兄弟』と呼んでいる、フョードル殺しの物語は、 ≪書き手≫から見た13年前の出来事で、アレクセイの青春のエピソードに過ぎず、≪書き手≫が本当に書きたいのは、33歳になったアリョーシャの生き様ということです。

    その主題となるのが、「ロシアの国父」たる皇帝暗殺であり、アレクセイはその首謀者として捕らえられる――というのが大勢の見方です。(実行部隊はコーリャをはじめとする「少年たち」)

    ※ 詳しくは、予告された皇帝暗殺と幻の続編 ~江川卓のドストエフスキー解説より 『時系列のおかしさ - 序文「作者より」の「いま現在の時点」とは』をご参照下さい。

    活動家アレクセイと皇帝暗殺

    伝記作者である≪書き手≫がアレクセイに注目したのも、『こんな温厚かつ信心深い人物が、皇帝暗殺などという大それたことを首謀するものか』と疑問に思ったからでしょう。

    その印象について、≪書き手≫は次のように綴っています。

    私にとってこそ確かに注目すべき人物に相違ないのだが、そこのところをうまく読者に証明できるものかどうか、私にはまったく自信がない。問題は、おそらくこの男もいわゆる活動家の部類に属する人間なのだろうが、それがなんともあいまいな、明確さを欠いた活動家だという点にある。

    ≪中略≫

    ひとつだけ、かなりはっきりしているのは、これがいっぷう変っていて、変人とさえ言えるくらいの男だということである。

    この≪書き手≫は、裁判でアレクセイを見かけたか、あるいは連日の新聞報道で知ったか、定かでないが、世間のイメージする「暗殺首謀者」からは余りにもかけ離れているため、どうしてもその生涯を探求せずにいられなくなったのでしょう。現代に喩えれば、文春オンラインみたいなものです。

    私自身は、アレクセイが直接指示を出したとは思いませんが、罪と知りつつも、「少年たち」の暗殺計画に共感的な態度を取っていたのは確かだと思います。

    スメルジャコフがイワンの秘めた願望を感じとったように(ドミートリイが父を殺し、大金が手に入る)、少年たち、とりわけアリョーシャの信奉者であるコーリャも、アリョーシャの秘めた願望に反応して、実行部隊になったことは容易に想像がつきます。

    アレクセイがお花畑の信仰者ではなく、クールなリアリストであることは、『【5】リアリストは自分が信じたいものを信じる ~アリョーシャの信仰とゾシマ長老』でも強調されていますし、料亭『みやこ』の場面――猟犬をけしかけて少年をずたずたに引き裂いた将軍を「銃殺にすべきだろうか?」というイワンの問い掛けに対し、「銃殺にすべきです!」と即答しているところを見ると、皇帝暗殺もあり得るのではないでしょうか。

    もちろん、その過程には、イワンやドミートリイのように深い葛藤があったと思います。

    しかし、自らも、ロシアの国父殺しに直面するからこそ、兄たちの気持ちがいっそう理解できるし、先の出来事(フョードル殺し)が心の支えにもなります。

    いわば、「第一の小説」は壮大な前日譚であり、「第二の小説」では、さらにそれが発展して、アレクセイの運命を揺さぶるわけですね。

    また、「第一の小説」では、アレクセイがイワンの苦悩を憐れみ、大審問官の場面でイワンにキスしましたが、「第二の小説」では、イワンがアレクセイの苦悩に共感し、今度はイワンが死にゆくアレクセイにキスするかもしれません。ドミートリイも獄中のアレクセイを見舞うでしょう。いずれもアレクセイが兄たちの罪を背負っていく形になります。

    そして、そこに説得力を持たせるために、これほど長大な「フョードル殺しの前置き」を置いたと思うと、ドストエフスキーの並々ならぬ気概を感じるし、あるいはドストエフスキー自身が「それ」を考えていたのではないかと思ったりもします。(ちなみにロシア革命が起きたのは、ドストエフスキーの死から24年後)

    いずれにせよ、未完の大作で終わってしまった『カラマーゾフの兄弟』。

    序文の『作者より』を書き出した時点で、全編を書き上げずに終わるなど夢にも思わなかったでしょう。(書き出しは死の2年前)

    ドストエフスキーにしてみたら、「自分自身が死んでしまうこと」こそが大事件であり、志し半ばで急逝されたことが心底惜しまれてなりません。

    全体構想は序文にあり

    江川氏も自身の「謎とき本」で繰り返し言及されているように、ドストエフスキーは全体構想について、メモも草稿も一切残さなかったので、後世の読者は「第一の小説」から幻の続編を想像するより他ありません。

    それでも、「小説は書き出しが命」と言われているように、序文にあたる『作者より』にも、ドストエフスキーが「これから書こう」としている構想が端々に現われています。「第二の小説」への言及もそうですが、締めの一文も興味深いです。

    私が詭弁(きべん)を弄(ろう)し、貴重な時間を空費やしていたのは、第一には、礼儀の気持からであり、第二には、だから前もってお断りしておいたじゃないですか、とあとから逃げを張りたい狡猾(こうかつ)な魂胆からである。

    それはともかく、私は自分の小説が《全体としての本質的な統一を保ちながら》おのずと二つの物語に分れたのを、むしろ喜んでいる。第一の物語を読んだ読者なら、第二の物語をひもとくに値するかどうかは、もう自分で決めてくれるだろう。

    むろん、だれがなんの束縛を受けているわけでもないのだから、第一の物語の二ページ目あたりで本をほうり出し、それっきり二度と開いてみなくても、それはいっこうにかまわない。しかし、なかにはすこぶる慎重な読者もいて、公平な判断を誤らぬために、どうあっても最後まで読み通そうという場合もあるわけで、たとえば、わがロシアの評論家諸君などは例外なくその口である。

    まあ、こういう読者が相手なら、私もだいぶ気が楽というものだが、彼らがもっとも几帳面であり、良心的であることをゆめ疑うものではないとしても、やはり彼らに対しても、小説の最初のエピソードのあたりで大威張りで本を投げ出せる口実を与えておくことにしたい。さて、序文はこれでおしまいである。これが蛇足だという意見には、私もまったく同感だが、
    なにせもう書いてしまったものでもあるし、このまま残しておくことにしよう。

    では、本題にかかることにする。

    思うに、第二の物語=皇帝暗殺は、フョードル殺しのエピソードの倍ほどあったのではないでしょうか。フョードルの話だけでもお腹いっぱいなのに、それからさらに皇帝暗殺編に突き進める読者がいったい何人いるのか――ちょっと弱気ながらも、このまま書き進めようとするドストエフスキーの心意気を感じます。

    「なにせもう書いてしまったものであるし、このまま残しておくことにしよう」という一文がいいですね。

    ドストエフスキーが、「僕もラノベみたいに、さくっと読める小説を書こう」とか言いだしたら、『カラマーゾフの兄弟』は生まれなかったでしょう。

    真の個性とは、「それ以外になれない」ことです。

    長い目で見れば、書いて、残した人間の勝ちです。

    ドストエフスキーが生きたロシア革命前夜

    ドストエフスキーが生きた時代はロシア革命前夜。

    フランス革命、そして産業革命による、急速な民主化、工業化がロシアにも広がっていった時代。

    おおよその流れは次の通り。

    【年表】

    1979年 フランス革命
    1815年 ナポレオン没後、ウィーン条約(ヨーロッパにおける国際秩序の取り決め)

    1818年 カール・マルクス誕生
    1821年 ドストエフスキー誕生

    1830年 イギリスの産業革命が最盛期
    1840年 ドイツにも産業革命が波及し、急ピッチで工業化が進む
    以降 欧州・ロシアに広範に広がる

    1844年 ニーチェ誕生

    1845年 ドストエフスキー『貧しき人々』(24歳)が注目を集める。
    1848年 マルクス&エンゲルス共著『共産党宣言』が発表(マルクス30歳)
    1867年 マルクス『資本論』の第一巻出版(49歳)
    1879年 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(58歳)をロシア報知に連載開始。
    1881年 ドストエフスキー死去(59歳) ニーチェ『曙光』を発表(37歳)

    1905年 ロシア「血の日曜日」事件(労働者による皇宮への平和的な請願行進に対し、政府当局に動員された軍隊が発砲し、多数の死傷者を出した事件。ロシア第一革命のきっかけとなった。)
    1917年1月 ペトログラードで「血の日曜日」事件を記念する5万人の労働者によるストライキとデモ
    1917年3月 ニコライ二世の退位
    1917年6月 ペトログラードにて『第一回 全ロシア・ソヴィエト大会』が開催
    1917年10月 レーニンひきいるボリシェヴィキ単独政府<人民委員会議>が誕生
    1922年 ソビエト社会主義共和国連邦の成立
     
    1988年 - 1991年 ソビエト連邦(USSR)の崩壊

    2022年 ウクライナ侵攻

    追記

    『作者より』の作者は、改心したラキーチン? という推考を下記URLに記しています。

    【13】 ラキーチンは裏切り者のユダ? 嫉妬が悪意に変わる時

    「第二の小説」が、皇帝暗殺のストーリーだった・・というのは有名な話ですが、だとしたら、ここで「作者」を名乗っている人物――アレクセイの生涯とカラマーゾフ家の内情に詳しい人物は誰か――となると、ラキーチンぐらいしか思いつきません。彼はまた「大僧院長になる夢を捨て、雑誌社の批評部門に潜り込み、十年ほど書きまくる」という野心も持っているようです。

    旧友の悲劇を目の当たりにして、多少改心したラキーチンが、罪滅ぼしにアリョーシャの伝記を書き上げる――という展開もなきにしもあらずです。

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