江川卓『カラマーゾフの兄弟』は滋賀県立図書館にあります詳細を見る

    『カラマーゾフの兄弟』の読み方 ~良質な翻訳で理解度も変わる

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    翻訳によって理解度も変わる ~あなたに読解力が無いのではなく

    一生に一度はドストエフスキーを読もう! と心に決めたにもかかわらず、冒頭から既に躓き、長年、つんどく状態になってる方も少なくないと思います。

    私も初めてドストエフスキーのページをめくったのは中学生の時でしたが、「イワノヴナ」「フョードロヴィチ」といった舌を噛みそうな名前に戸惑い、アレクセイが途中で「アリョーシャ」とか「リョーチカ」に置き換わる愛称に戸惑い、暗い、長い、訳わからん文章に退屈して、最初の10ページぐらいで投げ出しました。

    その点、中学生でカラマーゾフを読破し、イワンとアリョーシャの「桜んぼのジャム」に感動した江川卓氏は凄いと思います。(オツムの出来が違いすぎぃ~)

    それから20年近く経ってからでしょうか。

    私も文化教養としてキリスト教に親しむようになってから、ふいに「罪と罰」に対する興味が湧き、実家に帰省した折り、当時、既に絶版になっていた新潮文庫の米川正夫・訳に目を通し、その後、何軒もの古本屋を探し回って、ようやく状態の良い古本を上下巻手に入れ、一気に読破した次第(ちなみに実家の「罪と罰」は家族の家宝で、持ち出し禁だった)。
    米川氏のクラシックな文体もさることながら、善と悪、罪と罰とがせめぎ合う心理描写が面白く、「これがドストエフスキーであったか!」と初めて価値に気付いた次第です。
    (関連 米川正夫・訳で読み解く ドストエフスキー『罪と罰』 の名言と見どころ

    その後、結婚・育児に突入した為、久しく読書の楽しみからも遠ざかっていましたが、40半ばで無性に『カラマーゾフの兄弟』が読みたくなり、Kindle版の原卓也・訳を入手したものの、電子書籍という、視野の狭いデバイスの影響もあり、大審問官のあたりで呆気なく挫折。

    しかし、このまま引き下がるわけにもいかず、江川卓の解説本「謎解き カラマーゾフの兄弟」を日本からわざわざ取り寄せたところ、そこで引用されている、江川氏自身の訳文の分かりやすさに目を見張り、「これならいける!」と商品を検索したところ、なんと、すでに絶版!! しかも中古本には1冊4006円~4480円の値段が付いて、これに国際配送料+手数料を合わせれば、総費用約2万円のお買い物! 本2冊に、2万円!! 本当にいいのか?! 

    清水の舞台から飛び降りるような気持ちで購入したところ、想像のはるか上を行く高品質で(ほぼ未開封の状態)、ようやく「カラマーゾフの兄弟」を読破した次第です。ちなみに現在、中古市場での価格は数万円に達しており、もはや古本自体が存在しない状態になっています。私の買い物は2万円以上の価値がありました。

    その時、つくづく思ったのです。海外文学は、翻訳が違えば、理解度も大きく変わると。

    連絡船 / 木下和郎氏のPDF「亀山郁夫訳のカラマーゾフの兄弟がいかにひどいか」でも指摘されているように、我々、日本人が海外文学に親しむ上で、専門家による翻訳は欠かせないものです。しかも外国語というのは、プログラム言語のように、完全一致で日本言に置き換えられるものではありません。京都人の「お茶漬けでもどうどす?」が「はよ帰ってくれはらへんやろか」というニュアンスを含んでいるように、外国語にも独特の比喩やダブルミーニングが存在し、それらを正しく理解するには膨大な知識と経験が不可欠です。

    また日本語には直訳できない単語やイディオムも多数存在し、それを平易な日本語の文章に訳す過程で、翻訳者の意訳や文学的センスが確実に影響します。たとえば、映画『カサブランカ』の有名な決め台詞「君の瞳に乾杯」も、オリジナルは、Here’s looking at you, kid.です。日本語字幕にするには非常に難しい原詞を、訳者の戸田奈津子氏が日本人好みに意訳したことで知られています。

    日本では、『カラマーゾフの兄弟』は、新潮文庫の原卓夫・訳がスタンダードで、平成以降は亀山郁夫訳、一択になっていますが、有名だからといって、万人に向いているわけではなく、私のように原卓也訳で挫折した人間もいます。

    ドストエフスキーの原典は同じなのに、訳者によって、これほどまでに理解度や読後の印象が違ってしまうのは、翻訳文学の悲劇ですね。

    たまたま手に取った訳文が自分に合わなかった為に、「ドストエフスキーはだるい」となってしまったら、それは大変な損失ですし、海外文学全体の低迷にも繋がりかねません。いくら専門家が広報、教示したところで、読者に理解力がなければ意味がないからです。

    私は江川訳のカラマーゾフの兄弟を読んで、心の底から感動したし、訳者が違えば、こうも受け止めかたが変わるものかと嘆息せずにいられませんでした。

    出版社にしてみれば、原訳と亀山訳が手軽に買えるんだからいいじゃないか、どうせ物語は同じなんだから、というスタンスかもしれませんが、それで万人が作品の本質を理解できるかといえば微妙です。新潮文庫の原訳も、一番肝心な注釈が非常にお粗末です。その点、集英社の江川訳は注釈も学術書並に充実しており、本作を読み解く上で欠かせません。途中で行き詰まった読者が江川訳を購入できないのは悲劇でしかないし、しいては、文学全体の損失と思うんですね。

    当方は露文学の専門家ではないですが、江川訳とドストエフスキーの作品の価値は理解しています。

    なにせ元の作品が長大なので、少しずつしか進みませんが、記事内で紹介している江川訳、および注釈が読解の手助けになれば幸いです。

    マラソンのように、ゆっくり、一緒に、楽しみましょう。 

    『カラマーゾフの兄弟』の作品構成と読み方

    作品構成

    『カラマーゾフの兄弟』の構成は次の通りです。

    【序文】ドストエフスキーの全てが凝縮した『カラマーゾフの兄弟』~作者よりにも書いているように、本作は、ドストエフスキーの全体構想においては、「ほんの始まり」に過ぎません。ドスト夫スキーの主眼は、「フョードル殺し」ではなく、これに続く「皇帝暗殺」(推測)にあります。

    それを意識して読めば、まわりくどい個所も、「なぜ、ここに書かれたのか」理由が分かると思います。

    • はじめに
      本作の「書き手」による序文です。主人公アレクセイ・カラマーゾフの印象と、今後起こりうる悲劇について綴られています。序文ですでに社会を震撼させるような大事件が起きる(皇帝暗殺?)ことが示唆されているのが特徴です。
    • 第Ⅰ部
      • 第Ⅰ編 ある一家の由来
        本作の悲劇を生み出した淫蕩父フョードルと三人の息子、ドミートリイ、イワン、アリョーシャ(アレクセイ)の生い立ちが描かれます。
      • 第Ⅱ編 場ちがいな会合
        父フョードルと長男ドミートリイの金銭問題を解決するため、高徳の僧ゾシマが一家の会合の場を設けますが、フョードルの嘲弄とドミートリイの短気によって、事態はいっそう困難に。ドストエフスキーのキリスト教に対する考え方や、19世紀ロシアの政治的・宗教的問題、民衆の信仰心が窺える重要なパートです。「罪がなければ全てが許される」というイワンの解釈も印象的。
      • 第Ⅲ編 好色な人たち
        もう一人の重要人物、召使いのスメルジャコフと、彼を養育する忠僕グリゴーリイの生い立ちが描かれます。スメルジャコフは淫蕩父フョードルの隠し子と噂されており、カラマーゾフ家の悲劇の根底に「カラマーゾフ的な好色さ」=情欲、図太さ、現実主義があることが窺えます。またドミートリイとフョードルと情婦グルーシェンカの三角関係、消えた3千ルーブリと婚約者カチェリーナとの確執が描かれる重要なパートです。
    • 第Ⅱ部
      • 第Ⅳ編 うわずり
        父と兄の金銭問題に巻き込まれたアリョーシャは、天使のメッセンジャーとして調和をもたらそうとしますが、色恋が絡んで、うぶなアリョーシャにはどうすることもできません。唯一の頼りであるゾシマ長老も死の床にあり、「自分が死んだら、僧院を出て、兄たちを助けなさい」と命じます。一癖も二癖もある兄と愛人たちに翻弄されるアリョーシャの心象が印象的です。
      • 第Ⅴ編 ProとContra
        カラマーゾフ一家の騒動を冷ややかに見つめる召使いスメルジャコフはイワンをけしかけ、イワンは悲劇を予感しつつも、父と兄弟から距離を置きます。料亭で語られるイワンのキリスト教観と叙情詩「大審問官」が圧巻です。ドストエフスキーの思想が色濃く現れるパートです。
      • 第Ⅵ編 ロシアの修道僧
        死に瀕して、ゾシマ長老の回想が語られます。ストーリーとはあまり関係のない青春の体験談が延々と語られるので、多くの読者が挫折すると思いますが、「苦悩と救済」「キリスト教的生き方」を示唆する場面なので、頑張って読みましょう。
    • 第Ⅲ部
      • 第Ⅶ編 アリョーシャ
        人生の師父であり、心の支えでもあったゾシマ長老が亡くなります。しかし奇跡は起きず、アリョーシャも信仰を投げ出して、情婦グルーシェンカの元に赴きます。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』に酷似した「一本のねぎ」のエピソードが印象的です。アリョーシャが信仰心を取り戻す過程を描いています。
      • 第Ⅷ編 ミーチャ
        追いつめられたミーチャはついに父親殺害を決行します。しかし、忠僕グリゴーリイを誤って殴ったために事態は一変します。グリゴーリイを殺したと思い込んだミーチャは、自死を覚悟してグルーシェンカに会いに出かけ、二人は愛を確かめ合います。そこに警察が乗り込み、ミーチャを父親殺しの容疑で逮捕します。ミーチャは「グリゴーリイを殴ったのは本当だが、父親は殺してない」と反論しますが、無実を証明することができず、囚われ人となります。
      • 第Ⅸ編 予審
        ミーチャは厳しい取り調べを受け、アリョーシャは兄の無実を証明しようと奔走しますが、有力な証拠は得られません。そんな中、兄弟愛とグルーシェンカへの愛はますます深まっていきます。
    • 第Ⅳ部
      • 第Ⅹ編 少年たち
        以前、酒に酔ったドミートリイは、少年イリューシャの父、二等大尉のスネギリョフを衆目の中で辱めた過去がありました。アリョーシャは兄の罪を償うために、イリューシャとスネギリョフを救おうとしますが、イリューシャは不治の病に侵され、余命幾ばくもありません。ここではイリューシャと仲間たちの交流を描いています。恐らく、『カラマーゾフの兄弟』が冗長に感じるのは、父親殺しとは何の関係もない少年たちのエピソードが延々と続くからだと思います。しかし、このエピソードこそ、幻の続編(ドストエフスキーの頭の中では、これこそが本編)の布石となるもので、江川氏曰く、この少年たちが、将来、アリョーシャに導かれて、皇帝暗殺を企てるそうです。現代の読者には物語の全貌が掴めないので、ここだけが浮いたように感じられるのだと思います。
      • 第Ⅺ編 兄イワン・フョードロヴィチ
        兄の無罪を証明する有力な証拠が得られぬまま、裁判が進む中、召使いのスメルジャコフがイワンを呼び出し、自分がフョードル殺しの犯人であることを告白します。悲劇を予感しながら父と兄を見捨てたイワンは、良心の呵責から譫妄状態に陥り、悪魔と会話するようになります。
      • 第Ⅻ編 予審
        スメルジャコフの自死により、ドミートリイはますます不利になります。イワンも証言台に立ちますが、不穏な発言を繰り返し、法廷をざわつかせます。イワンに嫌疑が及ぶことを恐れたカチェリーナは、以前、ドミートリイが彼女に送った手紙を持ち出し、それが決め手となって、ドミートリイに有罪判決がくだされます。
    • エピローグ
      裁判後のそれぞれが描かれます。印象的なのは、イリューシャの葬儀と少年たちの「カラマーゾフ、ばんざい」で締めくくられている点です。つまり、これが幻の続編の起点であり、「本当の物語」はここから描かれる予定だったんですね。そうして読み返すと、私たちが「カラマーゾフの兄弟」と呼んでいる物語は、ほんの序章に過ぎないことが窺えます。後世の読者には知る由もありませんが、ドストエフスキーの全体構想においては、ここに書かれたことは、氷山の一角に過ぎないのです。

    『カラマーゾフの兄弟』の読み方

    一部の読者が途中で挫折するのも、イリューシャとスネリギョフ二等大尉をめぐる「少年たち」のエピソードが延々と続くからだと思います。『ロシアの修道僧』で語られるゾシマ長老の回想もたいがい長いですが、イリューシャとスネリギョフ、コーリャ、飼い犬ジューチカとペレズヴォンのエピソードはそれ以上に長く、ラストもなぜかイリューシャの葬儀で締めくくられて、それがドミートリイの父親殺しとどう関係するのか、初心者にはさっぱり訳が分からないからだと思います。(私もそうでした)

    しかしながら、現代の読者が『カラマーゾフの兄弟』と呼んでいる小説――ドミートリイの父親殺しをめぐる物語が、全体の中の「ほんの序章」と意識すれば、納得がいくのではないでしょうか。

    江川氏も自著で繰り返し述べているように、本編は「幻の続編」にあり、そのテーマは皇帝暗殺と言われています。アリョーシャが首謀者となり、コーリャをはじめとする12人の少年たち(イリューシャの葬儀に訪れ、墓の周りで「カラマーゾフ万歳」と叫ぶ子たち)が実行部隊となって、暗殺計画に携わるわけですね。しかしながら、この計画は、「裏切り者」によって露見し、実行部隊も首謀者であるアリョーシャも捕らえられ、銃殺刑に処されます。江川氏いわく、「私はそのユダ(裏切り者)候補が、「トロイの建設者はだれか」を発見してコーリャ・クラソトーキンの鼻をあかしたカルタショフ君ではないか、と疑っている」とのことですが、アリョーシャの身近には、野心家の神学生ラキーチンがいて、盗み読みと立ち聞きが好きな婚約者(未来の妻)リーズがいます。ラキーチンはともかく、リーズとその母ホフラコワ夫人の描写がしつこいほど丁寧なのも、暗殺計画の秘密の手紙を盗み読み、密談を立ち聞きして、ラキーチンに洩らす役回りだからでしょう。現代の読者は、「その後の展開」を知らないので、くどく感じますが、全体を読めば、印象も大きく変わるはずです。

    ドミートリイの父親殺しとはまるで無関係な、少年たちのエピソードが延々と続くのも、幻の続編で、彼ら一人一人が重要な役割を果たすからでしょう。たとえば、コーリャをはじめとする少年たちは、みな中学生とは思えないほど政治や歴史に造詣が深く、社会主義について論じたり、イリューシャを救うために団結したり、正義感も強いです。特に、リーダー格のコーリャは、線路の間に横たわって肝試しするほど剛毅だし、アリョーシャに対する敬愛の気持ちもあり、将来、どんな役回りを果たすか、いわずもがなです。

    ドストエフスキーが「くどい」というよりは、現代の読者が全体像を知らないから、違和感を覚えるだけで、もし全ての物語が書かれていたら、冗長なエピソードにも納得がいったでしょう。いわば、完全なパズルピースはドストエフスキーだけが知っていて、我々はその一部を知るのみです。だから、余計で、もどかしく感じるし、話の途中で迷ってしまうのだと思います。

    見方を変えれば、幻の続編を想像しながら読み進めるのが本作の面白さであり、『カラマーゾフの兄弟』それ自体がミステリーといっても過言ではないでしょう。

    未完の大作ながら、本作には随所にドストエフスキーの理想と願いが散りばめられています。

    20世紀から21世紀にかけて、ロシアとソ連がどのような道筋を辿ったか、歴史をひもとけば、「これだけは書かずにいられなかった」、ドストエフスキーの気持ちも分かるのではないでしょうか。

    予告された皇帝暗殺 ~江川卓の解説より

    以下、江川卓の解説本『ドストエフスキー (岩波新書 評伝選) 』に掲載されている、「予告された皇帝暗殺」の見解です。 ※ この本も絶版になりました。

    興味のある方は参考にどうぞ。PC・タブレット推奨。閲覧のみです。

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