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    【28】 イリューシャ少年とスネギリョフ ~貧しい一家とカラマーゾフ家の施し

    貧乏なスネギリョフ一家
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    目次 🏃‍♂️

    世界じゅうでいちばん強いのは金持ちだねえ!

    章の概要

    ドミートリイに一銭たりと渡したくない父フョードルは、ドミートリイ名義の手形を発行し、それをグルーシェンカに預けて、債務不履行を理由に、ドミートリイを牢獄にぶち込もうと画策します。そして、その代理人に、人の好いスネギリョフ二等大尉を使いますが、ドミートリイの怒りを買い、顎ひげをつかまれて、往来に引きずり出されます。

    自分の父親が、衆目の中で、辱められるのを目にした少年イリューシャは、ドミートリイの暴力を止めに入りますが、心に深い傷を残します。

    それを知ったカチェリーナは、「ドミートリイの婚約者として」、アリョーシャに200ルーブリを預け、スネギリョフ一家を救済するよう依頼します。

    アリョーシャは、イリューシャに一方的に恨まれ、指に噛みつかれた経緯もあって、この役目を快く引き受けます。

    しかし、スネギリョフ一家の窮状は、アリョーシャの想像をはるかに超えるものでした。少年イリューシャは病気で寝こんでいましたが、スネギリョフ二等大尉には、息子の治療費を払う余裕もありません。

    アリョーシャは、カチェリーナから預かった200ルーブリを渡しますが、スネギリョフ二等大尉が取った行動は意外なものでした。

    『第Ⅳ編 うわずり / 第6章 小屋でのうわずり ~ 第7章 清らかな空気のもとでも】では、スネギリョフ二等大尉と少年イリューシャの暮らしや底辺で生きる人々の苦しみが描かれています。また、スネギリョフ二等大尉の行為に対する、アリョーシャの内省は、『第Ⅴ編 ProとContra / 第1章 婚約』の冒頭で語られます。

    動画で確認

    TVドラマ(2007年)より。

    スネギリョフが顎ひげをつかまれて、ドミートリイに往来に引きずり出される場面。

    https://youtu.be/-YcFzj5MyMo?t=4994

    こんな光景を目の当たりにしたら、子供の心は深く傷つくし、カラマーゾフ一家を目の敵にするのも納得です。

    ドミートリイに顎ひげをつかまれて往来に引きずり出されるスネギリョフ

    スネギリョフ一家の窮状

    『第6章 小屋でのうわずり』

    カチェリーナから、哀れなスネギリョフ二等大尉とドミートリイの暴行について聞かされたアリョーシャは、それを止めに入った息子こそ、自分の指に噛みついた少年と直感し、一家の見舞金として預かった200ルーブリ紙幣を手に、スネギリョフ一家の住まいに向かいます。

    ようやく彼はオジョールナヤ通りに、町人の後家カルムイコワの持家を探し当てた。それは古びて傾きかかったちっぽけな家で、通りに面した窓は三つしかなく、汚らしい中庭があって、そのまん中に牝(め)牛が一頭ぽつんと立っていた。入口の板敷間へはその中庭のほうから入るようになっていた。板敷間の左手には家主の老婆がやはり年老いた娘といっしょに暮していて、どちらも耳が遠かった(注解参照)。アリョーシャが何度かくり返して二等大尉のことをたずねると、その一人がようやく間借人のことを聞かれたのだとわかって、入口の板敷間越しに居間のほうの戸口を指差して見せた。二等大尉は事実、百姓小屋同然の一間暮しというわけだった(注解参照)

    ≪中略≫

    アリョーシャは戸を開けて、一歩敷居をまたいだ。入ってみると、小屋の中はかなり広かったが、大勢の人と種々雑多な世帯道具でごった返していた。左手には大きなロシア式の煖炉があった。煖炉から左手の窓にかけては部屋いっぱいに綱が張られ、それにさまざまなぼろ布がぶら下がっていた。左と右の壁ぎわにはベッドが一つずつ置かれ、それには毛糸編みの毛布がかかっていた。その一つ、左手のベッドの上には、更(さら)紗(さ)の枕が四つ、大きい順に積み上げられて小山のようになっていた。もう一つの右手のベッドには、たいへん小さな枕が一つ載っているだけだった。その奥の正面の一隅には、はすかいに綱が一本張られ、やはりカーテンだかシーツだかをそれに吊して、ちょっとした場所が囲ってあった。この仕切りのかげからも、造りつけの長腰掛に椅子をつないでこしらえた寝床が一つのぞいていた。

    農家によくあるような白木の四角いテーブルは、正面から中ほどの窓のほうへすこしずらして置かれていた。三つの窓にはそれぞれかびの生えたような緑色の小さなガラスが四枚ずつはまっていたが、どの窓もひどく曇っているうえにぴったりと締め切られているので、部屋の中はかなり息苦しく感じられ、それにだいぶ暗い感じだった。テーブルの上には、目玉焼きの食べ残しを入れたフライパンと、かじりかけのパンの片が置かれ、そのうえこの世の至福ウォッカが底のほうにほんのちょっぴり残っているだけの酒瓶まで載っていた。

    TVドラマでは、「百姓小屋同然の一間暮らし」の一家の窮状が、下図のようなイメージで描かれます。現代でも、東欧の寒村に行けば、こういう住まいは存在します。

    テーブルの目玉焼きやパンも、忠実に再現されています。でも、当時は、もっと貧しいと思いますよ。現代のTVドラマなので、そこそこに演出してますが。

    ちなみに、1968年の映画版では、イリューシャや少年達のエピソードは一切省略されています。(時間の都合上)

    https://youtu.be/-YcFzj5MyMo?t=6856

    貧しいスネギリョフ一家

    スネギリョフ大尉は、五人暮らしで、カチェリーナが「気ちがい」と呼ぶ奥さん「アリーナ・ペトローヴナ」、器量の悪い娘ワーセンカ、20歳前後の、せむしの娘、病気のイリューシャと、凄まじい不幸が伝わってきます。

    酒瓶まで載っていた。左手のベッドのそばの椅子には、貴婦人然とつくった、更紗のワンピースの女性が坐っていた。彼女はひどく痩せた黄色い顔をしていた。げっそりと落ちくぼんだ両頬は、一見彼女が病気であることを物語っていた。しかし何にもましてアリョーシャにショックを与えたのは、この貧しい貴婦人の目つきであった――異常なほど物問いたげでありながら、同時に恐ろしくつんとすました目つきなのである。この婦人はまだ自分からは何も口をきこうとせず、アリョーシャが主人と話し合っている間、相変らずつんとすました、物問いたげな面持で、大きな茶色い目をたえず動かしては、二人の話し手を交互に見くらべていた。

    この婦人のそば、左手の窓ぎわには、赤毛の薄い髪をした、かなり器量の悪い若い娘が、粗末だけれど、たいそう小ざっぱりとした服を着て立っていた。彼女は部屋に入ってきたアリョーシャのほうを嫌悪のこもった眼差でじろりと眺めた。

    右手の、やはりベッドの横には、もう一人女性が坐っていた。見るも哀れな感じで、二十歳前後のやはり若い娘なのに、せむしのうえに足萎えて、後でアリョーシャが聞いたところによると、両脚が麻痺してしまっているということであった。彼女の松葉杖はすぐ近く、ベッドと壁の間の片隅に置かれていた。この哀れな娘のすばらしく美しい、善良そのもののような目は、一種のおだやかな柔和さをたたえてアリョーシャに注がれていた。

    スネギリョフは、突然訪ねて来たアリョーシャに理由を尋ね、アリョーシャがドミートリイの名前を口にすると、片隅のカーテンのかげからイリューシャが顔を出し、「さっきそいつの指に噛みついてやったんだ!」と燃えるような目で訴えます。

    アリョーシャは、兄の代わりに謝罪に訪れたことを説明しますが、二人の娘も、イリューシャも、妻のアリーナも、いら立ち、興奮し、ゆっくり話すことができません。

    そこで、スネギリョフ二等大尉は、アリョーシャを連れて、通りに出ます。

    この世でいちばん強いのは金持 ~イリューシャの嘆き

    『第7章 清らかな空気のもとでも』

    ドミートリイの暴行の経緯を聞かされたアリョーシャは、「兄は誠心誠意、心からあなたに悔恨の情を表わすでしょう、その同じ広場にひざまずくことだってします……ぼくがきっとそうさせます、でなけりゃ、もう兄でも弟でもありません!」と誓いを立てます。

    しかし、イリューシャに見られた手前、安っぽい謝罪を受け入れることはできません。

    イリューシャは、学校でも≪垢すりへちま≫と冷やかされ、二重に心が傷ついていたからです。ちなみに、この時、いじめを止めに入ったコーリャ・クラソートキンの脇腹をペン・ナイフで刺す事件が起きています。

    「まったく怒りでございますよ。ちっぽけな子供の心に大いなる怒りでございますな。あなたはこのいきさつをすっかりはご存じない。では、ひとつこの話をとくと説明させていただきましょうか。実を申しますと、あの事件がありましてから、学校の友だちがみんなしてあの子を垢すりへちまとからかいだしたんでございます。

    学校に行っておるときの子供は残酷なものでごさいまして、一人ひとりでいるときは天使のようでも、みんなが固まると、とりわけ学校では、なおのこと残酷になる場合が多いようでございますな。

    ところが、そうやってみんながあの子をからかいはじめますと、今度はイリューシャの胸に気高い精神がぐっと頭をもたげましたのです。

    これがふつうの子、意気地のない息子でしたら、――おとなしく引っこんでしまって、自分の父親を恥ずかしく思うところでしょうが、あの子は、たった一人でみんなを敵にまわして、父親のために立ちあがったのでございますよ。父親のため、真理のため、はい、正義のためでございますな

    あの子があなたのお兄さまの手に接吻いたしまして、『お父ちゃんを堪忍してやってよう、堪忍してやってよう』と叫んでいましたとき、どんな思いを忍んだか、それはもうただ神さまと手前だけが知っていることでございまして、はい。

    つまり、こういうふうにして、手前どもの子供――つまり、あなた方の子供ではなくて、手前どもの子供、人からさげすまれてこそいるが、気高い心をもった貧乏人の子供はですな、まだ頑是ない九歳の頃から、地上の真理を知るものなんでございますよ、はい。

    金持の子ではどうしてどうして、一生涯かかってもそんな深いところまでは究められませんですが、うちのイリューシャは、あの日あの時、あの例の広場で、お兄さまの手を接吻いたしました瞬間、あますことなく真理を会得してしまいましたのですよ。あの子の身内にこの真理が入りこんで、永遠にあの子をぶちのめしてしまいましたんでございます、はい」

    幼いながらも、真理のため、正義のため、一人で立ち向かったイリューシャの姿は、アリョーシャの心に強くやきつきます。

    13年後、成長したアリョーシャと少年たちが、「皇帝と現政府」という巨大な敵に立ち向かうのも、イリューシャの体験が元になっていると言われています。(本作のラストが、イリューシャの葬儀と「カラマーゾフ万歳」で終わっている所以。詳しくは、『予告された皇帝暗殺と幻の続編 ~江川卓のドストエフスキー解説より』を参照のこと)

    そんなイリューシャは、スネギリョフと散歩に出かけた時、「お父ちゃん、世界じゅうでいちばん強いのは金持なんだねえ?」と切り出します。

    「そうだよ、イリューシャ、金持ぐらい強い者はない」

    「じゃ、お父ちゃん、ぼく大金持になるよ。ぼくが軍人になって、みんなを打ち負かしたら、皇帝さまからご褒(ほう)美(び)がいただけるから、それからここへ帰ってくるのさ、そしたらもうだれもあんな真似はしないよね」

    それから、しばらく黙っていて、また話しだしますのですが、あれの唇はあいかわらずぴくぴくと震えております。

    お父ちゃん、この町はほんとうにいやな町だねえ、お父ちゃん!」

    「そうだなあ、イリューシャ、あんまりいい町じゃないなあ」

    「お父ちゃん、ほかの町へ行こうよ、もっといい町へ、だれもぼくらのことを知らない町へ』と申すので、手前は言ってやりました。

    「引っ越そうなあ、イリューシャ、引っ越そうや、ただそのためにはお金を蓄めないとな」

    ≪中略≫

    そのうち、ちょうどいまと同じように、この石のところまでやってまいりまして、手前はこの石に腰をおろしました。空を見上げますと、一面に凧があがっておりまして、ぶうぶう唸ったり、はたはたと音を立てたりしております、三十ほどもありましたろうか。いまがちょうど凧あげの季節なんでございますな、はい。

    「なあ、イリューシャ、そろそろうちでも去年の凧をあげようじゃないか。破れたところは直してやるよ、いったいどこにしまいこんだんだい?」と声をかけましたが、あの子は黙ったままそっぽを向いて、横顔を見せております。ちょうどそのとき、風がびゅうっと吹いてきまして、砂ぼこりをまきあげました……

    するとあの子がいきなりむしゃぶりついて来て、小さな両手で手前の首っ玉にかじりつくと、ぎゅっと抱きしめるんでございます。

    ご存じでしょうが、無口で誇りの高い子供というのは、長いことじっと涙をこらえておりますが、いったん大きな悲しみに見舞われて急に堰(せき)が切れたようになりますと、もう涙が流れるなどという段ではなくて、それこそ滝のようにどっとほとばしり出るんでございますな、はい。

    アリョーシャは、イリューシャのいじらしさに心を痛め、カチェリーナから、見舞金として200ルーブリを預かってきたことを嬉々として話します。

    カチェリーナさんは、お金ならまだいくらでも出して下さいますとも、ぼくだってお金はありますよ、お入用なだけ使ってください、兄弟の、親友の金だと思って使っていただいて、後で返していただければいいんです

    単純に、お金が救いになると考えたからです。

    ところが、スネギリョフ大尉のとった行動は意外なものでした。

    アレクセイさん、ひとつ終りまでとくと聞いていただけませんか、もういまとなっては、終りまですっかり聞いていただかないとならない頃合になりましたようで、と申しますのは、この二百ループリが手前にとってどんな意味をもてるものか、あなたにはご想像もつかないだろうと思いますからです」述べた上で、イリューシャの治療薬を買う金もない窮状を語り、アリョーシャの目の前で、虹色の200ルーブリ紙幣を握りつぶし、足で踏み潰します。

    「あなたのお金なんぞ、こうしてやります、はい! こんなお金なんぞ! こんなお金なんぞ! こんなお金なんぞ!」彼は急にさっと後ろへ飛びすさると、アリョーシャの前ですっくと胸をそらした。その様子は言い表わしようもない誇らしさに充たされていた。

    ≪中略≫

    「一家の恥辱の代償にあなたからお金なんかもらったら、いったいうちの子になんて言いわけができます!」

    これだけ言うと、もう後ろをふり向こうともせず、彼は駆け去った。

    二等大尉の姿が見えなくなると、アリョーシャは二枚の紙幣を拾いあげた。それはひどくしわだらけになって、足で踏まれて砂地にのめりこんでいたが、傷んだところはすこしもなくて、アリョーシャが拡げてしわを伸ばしてみると、真新しい札のようにぱりぱりと音を立てたほどだった。しわを伸ばした札を畳んでポケットに入れると、アリョーシャは依頼された用件の首尾を報告するために、カチェリーナのもとへ向かって歩きだした。

    昭和の任侠ドラマのような展開ですが、アリョーシャにとっては、初めて体験する社会の不条理であり、生々しい現実です。こうまで高貴で、潔い人たちが、息子の治療費も払えず、貧苦にあえいでいるからです。そうかと思えば、フョードルみたいに、がめつい人間が、たっぷり財産を貯め込んで、いい暮らしをしています。それもこれも、たまたま生まれついた場所が、上か、下かの違いだけ。祈りも、神の義も、ここには存在しないようです。

    そんなことは、庶民なら日常茶飯事で経験していますが、アリョーシャはそうではありません。母の死後、親族をたらい廻しにされた過去はあっても、裕福な親族に可愛がられ、着るにも、食べるにも、困ったことがありません。僧院も、やむにやまれぬ事情から、というよりは、体験入信みたいなノリですし、生まれた時からボロ家に暮らし、その日の食事にも事欠くようなイリューシャとは雲泥の差ですね。

    貴族の子供が、庶民の窮状を知る場面は、池田理代子の漫画『ベルサイユのばら』にもありますが、アリョーシャの場合、そこに「個人的な憎しみ」が伴うので、インパクトもひとしおです。

    それまでアリョーシャも、少なからず世の中を知り、人類の幸福や社会的役割について考えていましたが、スネギリョフ一家の境遇は想像以上で、優しさや誠実だけでは到底解決できません。

    そこから、アリョーシャの真の戦いが始まります。

    現代の読者は幻の続編「第二の小説」を読むことは叶わないので、その後のアリョーシャの活躍は想像するより他ないですが、アリョーシャがスネギリョフ父子から学んだことは、決して屈しない、そして金で心を汚さない、といったところでしょうか。

     無知は知の始まり オスカルさまと野菜スープ ~貴族が庶民の現実を知る時

    動画で確認

    アリョーシャの目の前で紙幣を握りつぶす場面。

    映像で改めて観ると、これは非常に勇気が要っただろうと思います。

    それだけにアリョーシャの衝撃もひとしおなんですね。

    これをきっかけに、貴族階級の業と庶民の苦しみを思い知るのも頷ける話です。

    200ルーブリ紙幣を握りつぶすスネギリョフ

    https://youtu.be/-YcFzj5MyMo?t=7292

    次のページでは、江川卓の注解を掲載しています。スネギリョフ大尉とイリューシャの会話には、ドストエフスキーの長男フェージャの思い出が反映されています。
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    誰かにこっそり教えたい 👂
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