聖書とキリスト教に関する場面をピックアップしています。
ロシア民衆の信仰と僧院、人類の救済と無神論、等、イワンとアリョーシャの会話が中心です。
キリスト教に関する話題は『Novella ✿ 文芸net』にも掲載しています。
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【44】 『ガラリヤのカナ』とアリョーシャの覚醒 ~大人になるということ
ゾシマ長老の遺体の『腐臭』とフェラポント神父の揶揄に衝撃を受けたアリョーシャは、自暴自棄的にラキーチンの誘いに乗り、淫婦グルーシェンカの住まいに行きます。 グ... -
【40-5】地獄とはもはや愛することができないという苦悩
ゾシマ長老最後の訓諭「地獄とはもはや愛することができないという苦悩」であり、愛は生きているうちにしか実践できないという喩え。ドストエフスキーの願いとその後のロマノフ王朝滅亡、ソ連崩壊は誰のせいであったかというコラムと併せて。 -
罪の意識と良心の罰はいかに育まれるか ~新興宗教団体の犯罪から考察
学生時代、繁華街から帰ってきた同級生が「駅前で面白いものを配ってたよ」と一冊のパンフレットを見せてくれました。 ページを開いてみると、 「君には人生の目的があ... -
【40-4】 たとえ一人になっても、たゆみなく努めよ ~人を裁くなかれ
ゾシマ長老、最後の訓諭より。『人は同胞の裁き人となりうるか? 最後までの信仰について』では、人を裁かず、たとえ周囲に理解されなくても、たゆむことなく努める大切さが綴られている。 -
【40-3】 愛と祈りを忘れるなかれ ~小さな愛が世界を大海のように包む
ゾシマ長老から最後の訓諭。『祈りと、愛と、他界との接触について』の項では、信念を持ち続けることの大切さと、愛が一朝一夕には育たないことを説いている。 -
【40-2】 『キリストを拒否すれば、血の海を見るだけである』 ~ロシア革命とキリスト教弾圧
ゾシマ長老は死を前にして最後の説教をする。第二節『主従について、主従は精神的に互いに兄弟となりうるか』では、民衆の愚とキリストの教えの大切さを説いている。その後、ロシア革命で弾圧された歴史と併せて。 -
【40-1】 ゾシマ長老の名言とドストエフスキーの遺言『富者にあっては、それは孤立と精神的な自殺であり、貧者にあっては、羨望と殺人である 』
死を前にして、ゾシマ長老は修道僧らに最後の説教を行なう。第一節『ロシアの修道僧とそのもちうべき意義について』では、沈潜の価値とロシア民衆の救いが述べられている。 -
罪の告白と改悛、愛と赦し ~神の視点を求めて
『キリスト教を理解することは神の愛を実践すること ~「赦す」「手放す」「委ねる」』にも書いていますが、『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』に限って言えば、キリス... -
【39】 世界を変えるのは人の心から ~告解と改悛と赦しの意義
若き日のゾシマ長老は傲慢で血気盛んな若者だった。失恋の恨みから恋敵に決闘を吹っかけ、下男を殴りつけるが、突如、改悛の情が訪れ、僧院に入ることを決意する。そんな彼の元に謎の訪問者が現われ、遠い過去の殺人の罪を打ち明ける。 -
キリスト教を理解することは神の愛を実践すること ~「赦す」「手放す」「委ねる」
キリスト教の本をたくさん読んだらといって、必ずしも、その心髄を理解できるとは限りません。知識は「知識」であって、「体験」ではないからです。 特にドストエフスキ...