イワン・カラマーゾフ– キャラクター紹介 –
ラマーゾフ家の次男で、クールな無神論者。第二の妻ソフィヤとの間に生まれるが、アリョーシャと一緒にボレーノフ家に引き取られ、不幸な生い立ちから心をこじらせる。人一倍、鋭敏で、潔癖な性格から、神の義を疑うようになり、アリョーシャと「神はあるのか」をめぐって議論を戦わせる。心秘かにカチェリーナを愛し、カチェリーナもイワンを慕っているが、ドミートリイの存在が邪魔をして、互いに素直になれない。父親殺しを予感しながらも、父を見捨てて、モスクワに旅立ったことから、良心の呵責に苛まれ、悪魔の幻影を見るようになる。
-
【36】イワンの哀しき別れ ~おれは卑劣漢だ!
イワンはドミートリイと父の間の悲劇を予感しながらも、父に対する嫌悪感から、父の願いを蹴ってモスクワに向かう。それを見越していたスメルジャコフは「賢い人とはちょっと話すだけで面白い」とほくそ笑む印象的な場面。 -
【35】 悪魔は迷う心にささやく ~スメルジャコフとイワンの破滅
「旅立つべきか、とどまるべきか」思い倦ねるイワンにスメルジャコフはフョードルとグルーシェンカの秘密の合図、首から提げた3000ルーブリの封筒について話し、「わたしがあなたの立場でしたら、何もかもほうりだして、さっさと行ってしまう」とそそのかす。コラム『悪魔とは何か』と併せて。 -
【34】 大審問官 悪魔の現実論を論破せよ ~アリョーシャの接吻の意味
マタイ福音書「悪魔の三つの誘惑」を元に、大審問官がイエスに現実の矛盾を問い質す名場面。『イエスの接吻が意味すること』『イワンこそ現代人の葛藤』『心が死ねば肉体も死ぬ』『人間とは弱く卑しいもの』『大審問官の意味を探しても答えはない』等。江川卓『謎解きカラマーゾフの兄弟』の解説を交えて紹介。 -
【33】 神さまに天国への入場券をお返しする ~子供たちの涙の上に幸福を築けるか?
イワンは子供たちへの虐待を引き合いに出し、無垢な涙の上に幸福の建物を築けるかと問いかける。神は認めても、神の創った世界は認めない。だから天国への入場券をつつしんで神さまにお返しする、というイワンの心情が綴られた名場面。 -
【32-2】 僕は神を認めないんじゃない、神の創った世界が認められないんだ
アリョーシャと「神はあるのか、ないのか」と論議を交わすイワン。「ぼくは神を認める。だが神の創った世界は認められない」と断言する。一方、神に救われたがっているイワンの心情が垣間見える名場面の序章。 -
【32-2】 論理以前に生を愛する「ぼくは生きたい、論理に逆らってでも生きたい」
アリョーシャは料亭≪みやこ≫で一人で食事するイワンと落ち合い、将来のことやカチェリーナのことを語り合う。二人の兄弟らしい情愛やイワンの若々しい心情が感じられる名場面。 -
【27】カチェリーナとうわずりの愛 ~気位の高い女とイワンの別れ
ホフラコワ夫人の屋敷で、カチェリーナとイワンが互いの気持ちをぶつけ合う。カチェリーナは心の底ではイワンを愛しているのに、義務と名誉の気持ちからドミートリイと結婚すると言い張る。真実の愛よりも自分の面子を優先するカチェリーナに愛想が尽きたイワンは「モスクワに行く」と別れを告げる。カチェリーナとイワン、それぞれの愛が垣間見える名場面。 -
【24】イワンなんか糞くらえ、ミーチャはごきぶりみたいに踏みつぶす ~老親の妄執と息子への憎悪
アリョーシャが父の家に立ち寄ると、フョードルは快く歓迎するが、ドミートリイとイワンに対しては「ビタ一文もやりはせん」と嫌悪感を露わにする。アリョーシャはそんな父を抱擁し、フョードルも驚いたようにアリョーシャを食事に誘う。そしてそれが最後の別れになってしまう、印象的な場面。 -
【11】 神がなければすべてが許される? イワンの苦悩とゾシマ長老の励まし
イワンは「不死がなければ、善行もない。不道徳もなくなり、すべてが許される」という持論を展開するが、ゾシマ長老は彼の懊悩を見抜き、「いつかあなたの苦しみに解決が訪れ、その行路が祝福されるように」と励ます。神がなければすべてが許される、とはどういう意味なのか、屈指の名場面を解説。 -
【10】 キリスト教徒の社会主義者は無神論者の社会主義者より恐ろしい ~イワンと神父の議論
国家が犯罪者に刑罰を科しても魂が救われるわけではない。国家の中に教会があるのではなく、国家が教会そのものになるべきという熱い議論が交わされる。果たしてキリスト教が国家に成り代わる事が正解なのか。一つのイデオロギーが社会全体を治めようとする危うさについても言及する、ロシアの未来を示唆するような場面。
12