ゾシマ長老– キャラクター紹介 –

町中の信徒に慕われる、高徳の僧。アリョーシャの精神的指導者でもあり、僧院を出て、父と兄たちの側にいるよう勧める。死後に奇跡を期待されるが、何も起こらず、アリョーシャもショックを受けるが、信仰を新たにし、生涯の心の支えとなる。
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【41】 フェラポント神父とロシア民の未来 ~『腐臭』は何を意味するのか
ゾシマ長老の遺体から腐臭が漂うと、奇跡を期待していた人々は失望し、誹謗中傷を始める。そこにフェラポント神父がやって来て「悪霊退散」とわめき、一部は感化されて「この人こそ聖人だ」と付き従う。アリョーシャもまた激しく動揺するがパイーシイ神父は彼が戻ってくることを信じる。腐臭に込められた意味と合わせて。 -
【40-6】 ゾシマ長老の死 ~床(пол)と大地(земле)に関する考察 ~翻訳は分かりやすければそれでいいのか
ゾシマ長老が死の直前、「静かに床にすべりおり、ぞの場にひざまずき、顔を地にすりつけるようにしながら、両手をひろげ、歓喜に酔いしれたような様子で、祈りながら大地に口づけた」という描写に関する考察と新訳ブームの是非について。 -
【40-5】地獄とはもはや愛することができないという苦悩
ゾシマ長老最後の訓諭「地獄とはもはや愛することができないという苦悩」であり、愛は生きているうちにしか実践できないという喩え。ドストエフスキーの願いとその後のロマノフ王朝滅亡、ソ連崩壊は誰のせいであったかというコラムと併せて。 -
【40-4】 たとえ一人になっても、たゆみなく努めよ ~人を裁くなかれ
ゾシマ長老、最後の訓諭より。『人は同胞の裁き人となりうるか? 最後までの信仰について』では、人を裁かず、たとえ周囲に理解されなくても、たゆむことなく努める大切さが綴られている。 -
【40-3】 愛と祈りを忘れるなかれ ~小さな愛が世界を大海のように包む
ゾシマ長老から最後の訓諭。『祈りと、愛と、他界との接触について』の項では、信念を持ち続けることの大切さと、愛が一朝一夕には育たないことを説いている。 -
【40-2】 『キリストを拒否すれば、血の海を見るだけである』 ~ロシア革命とキリスト教弾圧
ゾシマ長老は死を前にして最後の説教をする。第二節『主従について、主従は精神的に互いに兄弟となりうるか』では、民衆の愚とキリストの教えの大切さを説いている。その後、ロシア革命で弾圧された歴史と併せて。 -
【40-1】 ゾシマ長老の名言とドストエフスキーの遺言『富者にあっては、それは孤立と精神的な自殺であり、貧者にあっては、羨望と殺人である 』
死を前にして、ゾシマ長老は修道僧らに最後の説教を行なう。第一節『ロシアの修道僧とそのもちうべき意義について』では、沈潜の価値とロシア民衆の救いが述べられている。 -
【39】 世界を変えるのは人の心から ~告解と改悛と赦しの意義
若き日のゾシマ長老は傲慢で血気盛んな若者だった。失恋の恨みから恋敵に決闘を吹っかけ、下男を殴りつけるが、突如、改悛の情が訪れ、僧院に入ることを決意する。そんな彼の元に謎の訪問者が現われ、遠い過去の殺人の罪を打ち明ける。 -
【38】ゾシマ長老の伝記とドストエフスキーの遺言 ~ヨブ記のエピソードより
死に瀕して、ゾシマ長老は神父やアリョーシャに自身の半生を語り、最後の訓諭を与える。ゾシマ長老の感銘は、脱稿に急逝したドストエフスキーの遺言のようでもあり、宗教的体験が垣間見えるようなパートに仕上がっている。 -
【37】 人生は数多くの不幸をもたらすが、その不幸によって幸福になる ~一粒の麦、もし地に落ちて死なずば
瀕死のゾシマ長老は、父と二人の兄の身を案じて涙を流すアリョーシャに「不幸によってこそ、おまえは幸福になる」と励まし、『一粒の麦、もし地に落ちて死なずば』というイエスの精神を覚えておくよう諭す。
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