江川卓『カラマーゾフの兄弟』は滋賀県立図書館にあります詳細を見る

    【16】 いやな臭いのリザヴェータと聖痴愚(ユロージヴァヤ)

    馬小屋で赤ん坊を産み落とすリザヴェータ カラマーゾフの兄弟
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    いやな臭いのリザヴェータ

    章の概要

    カラマーゾフ家に仕える忠僕グリゴーリイとマルファは、ある晩、リザヴェータと呼ばれる痴れ者の女性が風呂場に忍び込み、赤ん坊を産み落とします。それが、マルファの生んだ「六本指の赤ん坊(奇形)」を墓所に葬ったのと同日だったので、グリゴーリイ夫妻は我が子の生まれ変わりのように感じて、男の子を我が子として育て始めます。

    赤ん坊の父親はフョードルと噂され、スメルジャコフ自身は、その噂を信じて、自分もカラマーゾフ家の四番目の兄弟と自負しますが、その差は歴然として、屈折した思いが凶悪な犯罪と兄弟の破滅に向かわせます。(江川氏の解説によると、リザヴェータと交わったのは、脱獄囚≪ねじ釘のカルプ≫らしい)

    『第Ⅲ編 好色な人々 / 第2章 いやな臭いのリザヴェータ』では、聖痴愚と呼ばれる痴れ者リザヴェータと、フョードルが彼女と交わったという下卑た噂、スメルジャコフの呪われた誕生までを描いています。

    動画で確認

    TVドラマ(2007年)より。ドラマでは、リザヴェータは馬小屋で出産します。

    https://youtu.be/-YcFzj5MyMo?t=590

    日常の思いが歌になる

    聖痴愚と町人の憐れみ

    ドストエフスキーの作品には、しばしば「聖痴愚 ユロージヴイ / ユロージヴァヤ)」と呼ばれる痴れ者が登場します。

    この言葉が意味する『痴愚』は、低脳やDQNではなく、浮世離れした楽天家、天才バカボンや小公女セーラみたいに、決して低脳ではないが、脳内お花畑みたいな価値観で、アリョーシャもそれに近いという位置づけです。

    アレクセイというのは、いわば聖痴愚に属する青年の一人にちがいない、したがって、もしふいに巨額の大金がころがりこむようなことがあっても、最初に口をかけてきたものにさっさとくれてしまうだろう(第一編 ある一族の由来 / 第四節 三男アリョーシャ

    本作に登場するリザヴェータも、路上に暮らす痴れ者で、知能にかなりの問題がありますが、町の人は聖なる乞食のように憐れみ、食べものや着る物を与えて可愛がります。しかし、風呂にも入らず、猛烈な臭いがするので、「いやな臭いのリザヴェータ(リザヴェータ・スメルジャーシチャヤ)」と呼ばれています。

    このリザヴェータという娘はひどく背が低かった。『2アルシン』(約140センチ)とちょっぴりだったからねえ』とは、彼女の死後、町の信心深い老婆たちの多くがしんみりと述懐した言葉である。

    二十歳(はたち)を迎えた彼女の顔は、大ぶりで血色がよく、いかにも健康そうだったが、まぎれもない白痴の相を呈していた。目つきはおだやかではあったが、妙にすわって、薄気味わるかった。夏も冬も変らず、素足に麻のシャツ一枚という姿で歩きまわっていた。ほとんど黒に近い、非常に濃い髪の毛は、羊の毛のようにうずを巻いて、まるでばかでかい帽子のように頭の上にのっかっていた。そのうえ、いつも地べたや泥の上で寝てるので、髪の毛はいつも泥まみれで、木の葉や木くずがいちめんにくっついていた。

    彼女の父親は、ひどい飲んだくれで、家財を使いはたして宿なしになった、

    イリヤという病身の待ち人で、もうかなり前から、この町のかなり裕福な町屋を住み込みの雇われ男のような形でわたり歩いていた。母親はとっくに亡くなっていた。いつも病気がちでいらいらしているイリヤや、リザヴェーダが帰って来るたびに、むごたらしく娘を殴りつけた。もっとも、彼女が父親のもとへ帰るのはめったにないことだった。なぜなら彼女は神の使いの聖痴愚(ユロージヴアヤ)ということで町じゅうの居候のようなことになっていたからである。 

    ≪中略≫

    (両親をなくし、後ろ盾となる知事も去ってしまうと) 彼女は、町の信心深い人たちから、みなし子としていっそういつくしまれるようになった。事実、彼女は例外なくみなから愛されていたようで、男の子たちでさえ彼女をからかったり、いじめたりすることがなかった。この町の男の子たち、とりわけ学校の生徒たちときたら、手のつけられない腕白ぞろいだったのだが、見知らぬ家へ勝手に入って行っても、だれひとり彼女を追い出そうとする者はなく、それどころか、だれもがやさしくいたわって、小銭などを恵んでやるのだった。

    ところで小銭をもらうと彼女はそれをすぐに教会や監獄へ持って行って、そこの喜捨箱に入れてしまうのだった。 ≪中略≫

    自分はといえば、黒パンと水以外には何も食べようとしなかった。

    よく大きな店などに立ち寄って、坐りこむことがあり、手近に高価な品々や現金がころがっているのだが、店の主人のほうではいっこうに彼女に対して警戒の気持ちなど起さない。彼女の前にたとえ数千ルーブリの金を置き忘れたとしても、一カペイカだって持って行く気づかいのないことをよく知っていたからである。 (123~124P)

    現代と異なり、身寄りのないホームレスでも邪険にされることはなく、キリスト教的な愛と救済の対象でした。むしろ信仰心を試す存在として目の前に現われ、それが神の化身のように崇められても不思議はありません。(現代でも、傷ついた動物は、人間の愛を試す為に神が遣わした天使のように語られることがありますね)

    日本も仏の慈悲として、貧者に施しをするのは普通にありましたし、仏門に入る者が市中を托鉢して回ることもありました。(修行僧が,鉢を持って市中を歩き,他人の家の前に立って施しの米や金銭を受けて回ること。乞食 (こつじき)。――大辞林4.0より)

    フョードルの暮らす町でも、貧者や病者を神の御使いに見立て、愛をもって施すことで、自身の罪を浄い清める考えはあったと思います。

    そうした信仰のおかげで、身寄りのないリザヴェータも、どうにか生きることができました。

    聖痴愚 ユロージヴイ / ユロージヴアヤ について

    ところで、本作にしばしば登場する『聖痴愚(ユロージヴイ ≪男性≫) / ユロージヴアヤ ≪女性≫)』とは、どのような人物を意味するのでしょうか。

    聖痴愚とは、江川氏の注釈によると、(466P)

    本来は苦行層の一種。信仰のために肉親や世間とのつながりを絶ち、礼節、羞恥心をわきまえ、狂人や痴愚をよそおって、権威や世の思惑に媚びぬ真実の神の言葉を説いた者をこう読んだ。

    新約コリント前書第四章十節に「われらは桐生とによりて愚かなる者なり(ユロード)」とあるのが典拠とされている。

    六世紀ごろからビザンチン教会ではこの聖痴愚(ユロージヴイ)の存在が記録されているが、これがとくに数多く現れたのは中世露西亜(14-16世紀以降)であって、彼等は民衆の苦しみと悲嘆のいつわらざる表現者となることができた。時代が降ると、教会によって止められる「偽ユーロジィ」も排出し、奇矯の振舞で明日を集めようとするが、他方、いくぶん神がかった狂人や白痴をこの名で呼ぶようにもなった。

    スメルジャコフの母親「いやな臭いのリザエーダ」もその一人で、女性の場合には語尾が「ユロージヴァヤ」と変化する。

    上記のように、痴愚=低脳バカではなく、神がかり的に「純粋」「生真面目」「お人好し」、ひるがえって、俗世の悪に染まらない「聖なるもの」というニュアンスです。

    また彼女を見守る町人らも、心の底から彼女を憐れみ、無垢な子供のように可愛がっていた様子が窺えます。

    不思議なことに、人間は「身内」や「隣人」は苦手だが、直接関係のない「人類」や「国民」には妙に優しいところがあります。イワンの名言「人間は近づきすぎると愛せない」の言葉通り、相手が自分に近いほど、欠点も目について、愛するのは難しくなるということですね。ゾシマ長老も「人類一般を愛すれば、個々への愛は薄くなる」と説いています。身内には一銭もやらないが、海外の自然災害や、捨て猫・捨て犬には惜しみなく寄付する人がいます。それも「近づきすぎると愛せない」の典型です。愛の対象が遠い他人で、漠然とした対象なら、人はいくらでも善人になることができるのです。

    このけだものを女として扱えるやつはいないものかね?

    ある晩。

    酔っぱらった旦那集――この町のつわものたち五、六人がクラブから裏街づたいに家路を辿る途中、茂みに眠っているリザヴェータに目を留めます。

    その時、一人の若旦那が、「だれでもかまわないが、このけだものを女として扱えるやつはいないものかね、いま、この場かぎりでもいいんだが……」などと破廉恥な事を口にします。

    一同は、いかにもけがらわしいといった思い入れで、それは不可能だと断定したが、その場に居合わせたフョードルだけが、いつものおふざけで、「むろん女として扱える、いや、一種独特の微妙な味があって、こたえられないくらいだ、云々」と答えます。

    その後、リザヴェータのお腹がみるみる大きくなると、「父親はフョードル・パヴローヴィチ」という噂が町中に広まります。フョードルは、自分も皆と一緒に家に帰ったとむきになって言い張りますが、誰も信じません。

    また、フョードル自身も、強く異議を申し立てることもなく(小商人や職人ふぜいにまともに取り合うまでもないという考え)、忠僕グリゴーリイだけが、主人をかばって、「加害者は≪ネジ釘のカルプ≫にちがいない」と反論します。≪ねじ釘のカルプ≫は、脱獄囚の通り名で、ひそかにこの町に潜伏し、三人に追い剥ぎを働いたことがありました。

    結局、父親は誰か分からぬまま、リザヴェータは臨月を迎え、フョードルの裏庭に姿を現わすと、家の風呂場に入り込み、男の子を生み落とします。リザヴェータはそのまま息を引き取りますが、哀れに思ったグリゴーリイとマルファは赤ん坊を自分の子供として育てる決意をします。

    「みなし子ちゅうもんは神さまの手で、だれにとっても親類みたいなもんだ、ましてわしらにとってはな、こりゃ、うちの亡くなった子が授けてくれたもんで、悪魔の息子と心義しい神のお使いとの間に生れただ。育ててやって、これからはもう泣くでねえ」こうしてマルファがこの子に乳をやることになった。洗礼を受けさせて、名前はパーヴェルとつえkられた。父称のほうは、だれがどう決めたわけでもないのに、おのずとフョードロヴィチ(フョードルの息子の意)と呼ばれるようになった。

    フョードルは別に反対もせず、むしろこうしたことをおもしろがっていた。そのくせ例の一件についてはその後も躍起になって否定していたものである。

    フョードルが親なし子を引き取ったことは、町では好意をもって迎えられた。

    後にフョードルはこのみなし子に苗字も作ってやった。母親の呼び名であったリザヴェータ・スメルジャーシチャヤをもじって、スメルジャコフと名づけたのである。

    このスキャンダラスな出来事について、江川卓氏は著書『謎ときカラマーゾフの兄弟』の中で、次のように述べています。

    いわば事実を突きつけられた形になっても、フョードルがリザヴェータとの関係を否認しとおしていたことには、聞くべき余地があるように思われる。実際問題として、「道化」そのもののフョードルのことだ。遊び人たち一同の眼前でリザヴェータにちょっかいを出したというのならともかく、みなが立ち去ってから、ひとりこっそり、それも「いやな臭いの」と綽名されるようなリザヴェータを抱きに行くものだろうか。

    ドミートリイになぐられたあと、「白は病院くさくていかん」と、わざわざ赤いハンカチで包帯するくらい、フョードルはなかなかの洒落者でもある。洒落者がリザヴェータを抱いてはいけない、という法はないが、やはり趣味の問題というものがあるだろう。何より決め手は、第八章「コニャックをやりながら」の章で、イワンに言われるとおり、完全に「コニャックに飲まれてしまった」フョードルが、露骨きわまりない好色譚を語って聞かせるとき、リザヴェータのことには何もふれなかった点である。

    「おれにとってはな、これまでの一生涯を考えても、まずい女というのはなかったもんだ。……どんな女にも、ほかの女にはけっして見つからないような、えい畜生、すてきにおもしろいところがあるものなんだ。……≪中略≫

    話がここまでくれば、当然、いやな臭いのリザヴェータを抱いたときの稀有の体験が語られる順番のはずだが、フョードルはそのことをおくびにも出そうとしない。ということは、その稀有の体験そのものが存在しなかったことを示しているように思われる。だいいち、「白痴女」のリザヴェータでは、フョードルの手管をもってしても、反応はいまひとつであったに相違ない。

    するとリザヴェータを妊娠させたのはいったいだれだろうか。「九月の暖い夜」から「五月のかなり暖い夜」までという期間は、九月をごく初旬のことと仮定し、五月を末近くと仮定すれば、いくぶん早産のようだが、なんとか辻褄は合う。してみると犯人は、やはり同じ頃に町を徘徊して、三人に追いはぎを働いたという「ねじ釘のカルプ」以外にないように思えてくる。

    ここで冗談めかした語源学を紹介しておくと、「カルプ」はギリシャ語の「カルポス」に由来しており、「果実」の忌みである。「ねじ釘のカルプ」、直訳すると「ねじ釘をもったカルプ」とは、らせん運動をする尾部をもった果実、すなわち「精子」のことではないか、と勘ぐられるわけだ。むろん、これは冗談だが、ドストエフスキーがそういう冗談をテキストに仕込んでおかなかった、という保証もない。

    「反応はいまひとつ」というのも、なかなか意味深ですね。大人の読み物という感じ。(ちなみに、『謎解き カラマーゾフの兄弟』は、昭和の雑誌『新潮』に連載されていました)

    ともあれ、フョードルでないのは確かだし、≪ねじ釘のカルプ≫でないにしても、痴れ者リザヴェータの赤児を引き取って、カラマーゾフ家に迎えるだけでもフョードルは人間として赦されるのではないかと思います。

    それだけに、フョードル殺しの罪は、非常に深いと言えるのではないでしょうか(あんな淫蕩オヤジでも)

    身重の身体で、どうやって頑丈な塀を乗り越えたのか

    作中には、臨月のリザヴェータの挙動について、『あの身重の身体で、どうやって裏庭の高くて頑丈な塀を乗り越えたのかは、いまだに一種の謎となっている』という描写があります。

    身重のリザヴェータが「裏庭の塀を乗り越えた」という事実は、激情に駆られたドミートリイにインスピレーションを与えます。

    愛するグルーシェンカが今夜にもフョードルを訪れ、お金も何もかも横取りされると思ったドミートリイは、「小さな銅の杵」を掴んで、一目散にフョードルの住まいに向かいますが、その際、隣家の菜園の編垣が続く、裏手の横丁まで来た時、不意に下記のようなことを思い出すからです。

    そこは、かつていやな臭いのリザヴェータが塀を乗り越えたと言い伝えられているところであるらしかった。『あの女に乗り越えられたんだもの』どうした加減か、ふいにこんな考えが頭をかすめたのである。『どうしておれに乗り越えられないわけがある?』

    第六編 ミーチャ / 第四節 暗闇の中で

    ドミートリイは激情のまま塀をよじ登り、フョードルの寝室に忍び寄ります。

    もし、ドミートリイがリザヴェータの事など思い出さず、塀を乗り越えなければ、もう少し違った展開があったかもしれません。

    そう考えると、リザヴェータは、フョードルにとっての「運命の女」、天命が与えた「死の天使」で、一連の出来事も決して偶然ではないですね。

    妙な気を起こさず、黙って通り過ぎていれば、リザヴェータも何かを「勘違い」することもなかったろうに、因果なことです😥

    『臭い』に関する江川卓訳と原卓也訳の違い

    ポーランドに移住して間もない頃、ひとりでに理解した言葉の一つに、「śmierdzi (シュメルジィ)」があります。(原型はśmierdzieć)

    英語で言うところの stinking(臭い)

    たとえば、台所の生ゴミなど、臭い物を嗅いだとき、鼻をつまみ、眉間に皺を寄せ、「シュメ~ルジィ」と言うことがあります。

    私も、辞書を引かなくても、仕草から「臭い」と理解しました。

    その後、『カラマーゾフの兄弟』を読み、いやな臭いのリザヴェータから生まれた息子の名前が「スメルジャコフ」と知って、なるほどと思いました。

    何日も風呂に入ってない浮浪者の体臭が、こちらまで臭ってきそうなシュメルジィ。「いやな臭い」どころか、めちゃくちゃ臭かっただろうことは想像に難くないです。

    ちなみに、原卓也・訳の第二節の見出しは、「リザヴェータ・スメルジャーシチャヤ」です。

    それをわざわざ、「いやな臭いのリザヴェータ」とした江川氏のセンスがよい。

    また、第二節の出だしも、原卓也訳と江川訳では随分異なります。

    原卓也の訳文

    これには、グリゴーリィのかねていだいていた不快な、いまわしい疑惑を決定的なものにして、深い衝撃を与えた、ある特別な事情があった。
    このリザヴェータ・スメルジャーシチャヤというのは、死後この町の信心深い老婆たちの多くが目をうるませて回想したとおり、『140センチそこそこ』しかない、非常に小柄な娘だった。
    二十歳の娘らしい、健康そうな、幅の広い、血色のいい顔は、完全に白痴の顔だったし、眼差しは柔和でこそあったが、少しも動かず、不快だった。
    一生の間、夏も冬も、粗末な麻の肌着一つに、はだしで通していた。

    江川卓の訳文

    実を言うと、この事件の裏には、かねがねグリゴーリィが抱いていたある不快な、けがらわしい疑惑を決定的に裏書きするような、ある特別の事情があって、それが彼にはげしいショックを与えたのだった。
    このリザヴェータという娘はひどく背が低かった。『二アルシン(約140センチ)』とちょっぴりだったからねえ』とは、彼女の死後、町の信心深い老婆たちの多くがしんみりと述懐した言葉である。
    二十歳を迎えた彼女の顔は、大ぶりで血色がよく、いかにも健康そうだったが、まぎれもない白痴の相を呈していた。
    目つきはおだやかではあったが、妙にすわって、薄気味悪かった。
    夏も冬も変わらず、素足に麻のシャツ一枚という姿で歩きまわっていた。

    『カラマーゾフの兄弟』江川卓訳をお探しの方へ(原卓也訳との比較あり)でも書いているように、私がカラマーゾフの迷宮に迷い込んだのも、原卓也先生の、あまりにストレートな物言いに付いていけなくなったからです(^_^;

    正直、原先生の訳文は、きつい……。 「少しも動かず、不快だった」とか

    リザヴェータ・スメルジャーシチャヤを「いやな臭いのリザヴェータ」としたのは、江川氏のアイデアの勝利だと思います。ロシア語やポーランド語を知らなくても、一瞬でイメージが掴めます。

    ゆえに、ドストエフスキー苦手な人、カラマーゾフは敷居が高い人は、江川訳から入った方が分かりやすいんですね。

    江川卓による注解

    スメルジャコフ

    リザヴェータが産み落とした男の子の名づけについて。

    彼の父が好色なフョードルであり、母親が聖痴愚のリザヴェータであるという点で、アリョーシャ(イワン)と同様であることが注目される。なおスメルジャコフの名の起源として、上巻三二ページ上段の注でふれた巡礼歌の「ラザロの歌」が考えられるが、その出だしに「二人を生んだは同じ一人の母だったが/主なる神の思(おぼ)し召しか、兄おとうとは/同じ一つの運命には恵まれなかった」と歌われていることが注目される。つまり、アリョーシャ(イワン)とスメルジャコフは、巡礼歌の兄ラザロと弟ラザロと同じく、生れながらに差別、被差別の関係に立っているわけである。

    「白痴=ユロージヴイ」の系譜 (ドストエフスキー解説より)

    本作でも繰り返し登場する聖痴愚(ユロージヴイ)に関する解説です。

    出典は、江川卓氏の『ドストエフスキー (岩波新書 評伝選) 』。

    「白痴」とユーロジヴイ

    現代ロシア語の慣用では、「白痴(イジオツト)」はふつう「おばかさん」、「馬鹿!」といった罵言として使われる。ところが、生きた民衆語を蒐集したことで有名なダーリのロシア語辞典を見ると、「愚かな人、馬鹿、阿呆、間抜け」と、さまざまな語義があげられた最後に、「ユロージヴイ」という解釈がかかげられている。「ユロージヴイ」は、「神がかり」、「瘋癲行者」などいろいろに訳されるが、英訳のHoly foolがむしろわかりやすい。日本語では「聖痴愚」となるだろう。ダーリの辞典にこの語義が載っているということは、ロシアの民間で、「白痴(イジオツト)」が「聖痴愚(ユロージヴイ)」の同義語としても通用していたことを示している。

    となると、この語の連想の幅はぐっとひろがる。「ユロージヴイ」は、ドストエフスキーのいちばんの愛用語の一つだからである。まず思い出されるものに、この語の女性形「ユロージヴァヤ」で呼ばれる一群の女性たちがいる。『罪と罰』のソーニャ、リザヴェータにはじまって、『カラマーゾフ』の「いやな臭いのリザヴェータ」、アリョーシャの母ソフィヤにいたるまで、その数はあまりに多い。これだけ女性の「分身」がついてくれれば、ムイシキンもさぞかし心強いことだろう。もっとも、そのほとんどは精神薄弱者(二人のリザヴェータ)、宗教的狂女(『悪霊』のマリヤ・レビャートキナ)、あるいは狐つきに似た「わめき女(クリクーシカ)」(ソフィヤ)だから、戦力はあまり当てにはなるまい。

    江川氏いわく、『白痴』のムイシキン公爵の分身が、『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャ、『罪と罰』のリザヴェータ、ソーニャに相当。

    アリョーシャ・カラマーゾフのほうも、やはり小説の冒頭、第一編の四章で、「これはまちがいなく、いわばユロージヴイの類に属する青年の一人にちがいない」と紹介されている。兄のイワンとは正反対に、彼は少年時代、自分が他人の世話になっているなどという意識をいっさい持つことがなかった。彼の友人である神学生のラキーチンも、アリョーシャに面と向って断言している。
    「やっぱりきみもカラマーゾフなんだな、父親からは好色を、母親からはユロージヴィの血を受けついだわけだ」

    ≪中略≫

    もともとは「愚かな、狂える」の意味であった「ユロージヴイ」という言葉に、特定の宗教的意味合いが加わったのは、新約聖書のパウロの言葉に由来している。「コリント人への手紙」で、パウロは、自分たち使徒が、いかに迫害とあざけりに耐え、食うものも着るものもなく、ひたすら福音を説いてきたかを訴える。ときには、コロシアムで猛獣の餌食にされる死刑囚のように、自分たちが「見世物にされていると思えたときさえあったという。しかし自分たちは、「知恵ある者」のようにあげつらうことをいっさいせず、ただ虚心にキリストを信じてきた。「われらはキリストのために愚かな者(クロード)となった」(コリント前4・10)*1というのである。

    ≪中略≫

    話が神秘論めいたが、このパウロの言葉を典拠に、「痴愚」をよそおって真の信仰に生きようとするものが、主として東方教会に多出した。西方教会にはその伝統がなかったらしく、十二、三世紀のアッシジの聖フランチェスコが「ユロージヴイ」と目されているだけである。ドストエフスキーはそのあたりにも目くばりをしていたらしく、『カラマーゾフ』では、「大審問官」の話の直後、イワンがアリョーシャに向って、ゾシマ長老のことをわざわざラテン語で「Pater (パーテル・)Seraphicus(セラフィクス)」と呼んでみせる。これは聖フランチェスコの別名であり、カトリックぎらいのドストエフスキーが、この民衆的な聖者には親近感を抱いていたことの証左として興味深い。フランチェスコ会の創立後、彼が同会の承認をローマ法王インノセント三世に求めに行った話は、「キリストの代理者」たる法王と「キリストの追随者」たるフランチェスコの対決として知られているが、イワンは自分の劇詩の「大審問官」を「代理者」に、アリョーシャの敬愛するゾシマ長老を「追随者」になぞらえたわけだろう。

    ロシアのユロージヴィ

    ところで、ユロージヴィがどこよりも数多く輩出したのが、実は十四世紀以降のロシアであった。教権と封建領主、国家権力との癒着が進行し、坊主といえば、食い肥りの女たらしが相場であったロシアで、権威や世の中の思惑にこびず、常識も羞恥も捨てて、「真実の神の言葉」、すなわち民衆の本音を声高に吐いてくれるユロージヴイたちの行動は、胸のすく痛快事と映ったらしい。蓬髪、素足で、汚れた黒衣をまとい、ときには『未成年』のヴェルシーロフについて噂されるように、十キロ余もの錘(おもり)を吊した彼らの特異な風態も、苦行のしるしとして民衆の尊敬を集めた。中には聖ワシーリイのように、「はだか」こそユロージヴイにとっての理想の服装であるとして、一糸まとわぬ姿で巷を徘徊した行者も知られている。

    もっとも、このような人気に便乗しようとする偽ユロージヴイも、けっして少なくはなかった。とくにピョートル帝の西欧化改革以後は、その傾向が強かったようで、一時は、蓬髪、素足の者の教会構内への立入りを差止める禁令まで出たという。ゾシマ長老の葬儀の場に乗りこんで、「いざ、いざ、悪霊退散!」とわめきたてるフェラポント神父の姿は、そういう偽ユロージヴイのおもかげを写したものだろう。

    ユロージヴィについては、もう一つ、彼らが中世ロシアで、パウロの言葉と関連があるのかどうか、大道芸にも似た一種の「見世物」の機能を果していたことも忘れられない。いわゆる「広場の笑い」は、ユロージヴィにとっての大きな武器であり、彼らが自覚的に道化の役を買って出て、観衆をまきこんだ即興劇的な情景を演出して見せることも、珍しくはなかったらしい。「はだか行者」のワシーリイ聖者については、こんな逸話も残っている。

    厳冬の頃、聖者はある貴人から高価な毛皮の外套を恵まれた。数人のいたずら者が、聖者をからかってやろうと、一人が行倒れの凍死者の真似をして道ばたに倒れていた。通りかかった聖者は、さぞ寒かろうといった思い入れで、いま貰ってきたばかりの外套を脱いで、その偽死体に着せかけてやった。ところが神罰覿面、聖者が元の丸はだかで立去ったとたん、いたずら者はほんとうに死んでしまったというのである。神罰がほんものであったかどうかは知らないが、そこまでの聖者の行動が観客を意識した、見せしめのための演出であったことは疑問の余地があるまい。

    何もユロージヴイにケチをつけるために、こんな逸話を引用したのではない。実はドストエフスキー自身がこの逸話を、「いやな臭いのリザヴェータ」にまつわるエピソードで利用しているからである。彼女もまた、町の慈善家から恵まれた衣類を、たいていは教会の裏口のあたりで脱ぎ捨ててしまい、肌着一枚の姿で町をうろつくのがつねだった、と語られている。彼女の場合、それが演出であったとは信じにくいが、ドストエフスキーはここでもユロージヴイの伝統を重く見たのだろう。スメルジャコフ出産のとき、彼女が「神の使い」である自分を「女として扱った」フョードルの家の高い編垣を乗り越えたのも、「奇蹟」というより、おそらくは無意識の見せしめ劇のつもりだったのだろう。

    ≪中略≫

    十年後、『カラマーゾフの兄弟』でムイシキンの「分身」アリョーシャを描くにあたって、ドストエフスキーはふたたびこの「お色直し」の手法を使ってみせた。やはり「白痴=ユロージヴィ」であるアリョーシャは、僧院時代、その僧服姿でみなの笑いを買っていた。「恋人」のリーズは、裾長の彼の僧服姿に、車椅子の上で思わず吹き出してしまう。イリューシャ少年は、「坊主のくせに、絹ものの舶来ズボンなんか履きこんでさ!」と毒づいて、彼に石を投げる。ソ連の研究者はこの場面に注を入れて、「子供たちから滑稽な服装をからかわれ、石や泥を投げられるのは、中世のユロージヴィ伝にしばしば出てくることだ」と指摘する。

    たしかにその通りだろう。それだけに、彼の「お色直し」が重要にもなってくるわけである。イリューシャ少年を見舞うために、アリョーシャがはじめて平服で少年たちの前に登場する場面は、少なくともムイシキンのときとは、まったく対照的な調子で書かれている。
    「彼はいまや僧服を脱ぎ捨て、ぴったり身体に合ったフロックコートを着込み、短く刈りこんだ頭に丸型のソフトをかぶっていた。そのためにたいそう風采があがり、まったくの好男子になっていた。愛らしい彼の顔はいつも楽しそうな表情をしているのだが、この楽しさはどことなくもの静かな、落ちついた楽しさであった」

    片や、ロシアで挫折した「キリスト公爵」、片や、「行動の愛」をもって、新たに俗界で「現代のキリスト」の道を歩み出そうとしているアリョーシャ。そのコントラストが、ここには鮮やかなまでに活写されている。

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    白痴=ユロージヴイ」の系譜(ドストエフスキー解説・江川卓)をGoogleドライブで読む
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