江川卓『カラマーゾフの兄弟』は滋賀県立図書館にあります詳細を見る

    【33】 神さまに天国への入場券をお返しする ~子供たちの涙の上に幸福を築けるか?

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    イワンとアリョーシャは「神はあるのか、ないのか」について真剣に語り合います。イワンは子供たちへの虐待を引き合いに出し、無垢な涙の上に幸福の建物を築けるかと問いかけます。神は認めても、神の創った世界は認めない。だから天国への入場券をつつしんで神さまにお返しする、というイワンの心情が綴られた名場面です。
    目次 🏃‍♂️
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    江川卓の注解

    《恵み深きヨアン》

    イワンは、「一人の人間を愛するためには、その相手に隠れてもらわなくちゃだめだ」という理由として、ヨアンという聖者が悪臭を放つ旅人の口へ息を吹きかけてやった話を引き合いに出す。

    6―7世紀のアレクサンドリアにこの名の聖者がいて、その恵み深さで知られていたが、ドストエフスキーはこの実在の聖者ではなく、フロベール作の『恵み深きジュリアンの伝説』からこのエピソードを取っているらしい。この作品は一八七七年にツルゲーネフによってロシア顔に訳されている。聖者の名をジュリアンからヨハンに変えているのは、イワン自身の名と同じ名にして(ヨアンはロシア語ではイワン)、作品の中に位置づけようとした意図と考えられる。なお、ジュリアン聖者は若い時に父親殺しの罪を犯していて、その後の生涯でその罪をあがなおうとしていた。》

    この地上にはありうべからざる一種の奇跡

    イワンの台詞「人間に対するキリスト的愛というのは、この地上にありうべからざる一種の奇跡」

    ドストエフスキーは1864年、最初の妻マリヤの死の直後、その遺体を前に、ここに述べられたとそっくり同じ思想を日記に書きつけている。「キリストの戒律のままに人間を自分自身を同じく愛すること――それは不可能である。地上における個としての人生の法則がわれわれを縛る。自我がさまたげとなる。ひとりキリストのみがよくなしえたが、しかしキリストは、太古から人間がそれをめざし、また自然の法則によってそれをめざさざるをえないでいる永遠の理想である」……

    暴虐のかぎりをつくしているんだそうだ

    ブルガリアにおける、トルコ人やチェルケス人の蛮行に関する史実。

    ブルガリアは十四世紀にトルコに占領され、その軍事支配は十九世紀までつづいた。1875―76年に支配に抵抗する蜂起が起ったが、これは残酷な弾圧を招き、ヨーロッパ各地でトルコの暴虐に反対するキャンペーンが起った。またギリシャのクリート島で起った反乱のさいには、次のエピソードに語られているピストルの事件が伝えられた。

    『ハムレット』のポローニアスのせりふ

    「人間は自分の姿かたちに似せて悪魔を創った」というイワンの主張に対して、アリョーシャが、「そんなことを言えば、神さまだって同じじゃありませんか」と返す。すると、イワンは、「ハムレットのボローニアスのせりふじゃないが、実にうまいこと言葉を裏返してみせるじゃないか」と答える。

    第二幕でポローニアスが息子のレアチーズの動静をレイナルドーに探らせようとしていろいろ知恵をつける場面に出てくる。

    上流社会で宗教運動

    ロシアでは棒や鞭でも人を殴っているが、外国ではもう殴らない。それだけ人情が純化したのか、人間が人間を殴ったりしないでもすむような法律ができたのか、もっとも、これはロシアでも、とりわけ上流社会で宗教運動が起こってからは、ぼつぼつ広まってきているようだがね……と、イワンの台詞。

    19世紀の70年からロシアではそのような動きが見られ、哲学者ヴラジーミル・ソロヴィヨフの公開講義などが大きな人気を集めた。

    フランス語から翻訳したすばらしいパンフレット

    このパンフレットに、殺人犯リシャールの処刑のエピソードが掲載されている。

    このパンフレットは実際にジュネーヴで作成され、ロシア語にも訳されて、無料で配布されたという。

    ロシアのルーテル派

    リシャールのエピソードは、ロシアのルーテル派に属する上流社交界の慈善家たちの手でロシア語に訳されて、ロシア民衆の教化のために新聞やその他の雑誌の付録として無料で配布された、とイワン談。

    ロシアにプロテスタントの運動が入ったのはきわめて早く、西欧と同じく十六世紀からで、十八世紀初めにはモスクワに二万人、ロシア全体で三万人の信者をかぞえた。その後正教会との葛藤があり、公認の福音ルーテル教会は国家統制下に置かれるが、一八八〇年頃には同派の教会を訪れる者が二百五十万人をかぞえ、ペテルブルグに九十、モスクワに八十程度の同派の教会があった。

    ネクラーソフの詩

    百姓が馬の目を鞭でひっぱたくところを書いた詩。ロシアのお国ぶりを表す作品として、イワンが言及。

    ネクラーソフの詩『たそがれまで』にこの話が出てくる。ドストエフスキーはやはりkの詩を念頭に置いて、『罪と罰』のラスコーリニコフの夢に同様の情景を描いた。

    細枝の鞭で殴っていた話

    強要ある知識人の紳士とその奥さんが、七つになる実の娘を細江だの鞭で殴っていたエピソードに関して。

    当時物議をかもした銀行家クロネベルグの事件がもとになっている。この事件は『作家の日記』一八七六年二月号にくわしいが、七歳の女の子を石棺していた銀行家は、法廷に提出された鞭を前に、「節くれだっていると処罰の効果が強まる」と供述した。

    もらしたうんこを塗りたくって

    この話も当時の新聞記事から取られており、ハリコフ在住のブルンスト夫妻が幼女エミリやを虐待した話が1879年3月の「ゴーロス」紙に載っている。ところで「うんこを塗る」という表現は、「うんこ」の原語「カール」の語原的に「黒」を意味することから、224ページ下段のイリューシャ少年の「インクを塗られた足」と同じく、カラマーゾフ姓との親近性を暗示するものと読める。いずれの場合もキリスト伝説との密接なかかわりのものとでこのイメージが登場することが注目される。なお、ドストエフスキーは一八七九年二月十日、編集者リュビーモフ宛の手紙でこの「うんこ」という言葉を変えないように懇願し、「表現をやわらげるにはいきません、それはあまりにも、あまりにも哀しいことです!」と強調している。

    詳しくは、『【25】 イリューシャと少年たち ~未来の12人の使徒とカラマーゾフ姓の由来』の江川氏の解説を参照のこと。

    『古記録』だったか、『古代記』

    子供を猟犬の群れに襲わせた将軍のエピソードが掲載されている本。

    当時ペテルブルグで発行されていた「ロシアの古記録」「ロシア古代期」の二誌を指す。ただし、この少年の話は1877年の「ロシア報知」誌に載ったもの。

    銃殺にすべきです

    犬将軍は銃殺にすべきだろうか? と訊ねるイワンに対して、アリョーシャが「銃殺にすべきです!」と即答する。

    トルストイは『アンナ・カレーニナ』第八編で、レーヴィンとコズタイシェフの二人にセルビア戦争でのトルコ人のスラブ人に対する虐待について論じさせ、そこでレーヴィンに、トルコ人を殺せるかどうかの問題を論じさせている。ここのアリョーシャの言葉は、レーヴィンが「ぼく自身民衆だが」とことわったうえで、スラヴの同胞に対する迫害に「直接的な感情はもてない」と述べるくだりを意識しているように思われる。一八七七年八月の『作家の日記』でドストエフスキーはこの問題について評論のしている。

    天上の火を盗んだ

    イワンの台詞「人間にはせっかく天国の楽園が与えられたのに、自分が不幸になるとわかっていながら、自由をほしがって、天上の火を盗んだ」。
    プロメテウスは、人類を哀れんで「火」を与えたが、技術が進歩する一方で、武器を作り、戦争を引き起こすようになった。
    旧約聖書の創世記で、男と女が知恵の実を口にした楽園追放のエピソードと重なる、人間の原罪。

    ゼウスによって罰せられたプロメテウス伝説を踏まえている。なお、ここではそのギリシャ・ローマ神話のイメージが「楽園追放」に関する聖書伝説と結びついている。

    鹿がライオンのすぐ横に寝そべり

    ぼくには応報が必要だ、この地上で、キリスト教的調和が実現する様を見届けたいというイワンの願いの喩えとして。

    旧約イザヤ書十一章六節に「狼は小羊とともに宿り、豹は小山羊とともに臥し、若き獅子は牛とともにありて、幼き個それらを導かん」と、「神の知識地にみつ」日について言われている。

    『主よ、汝は正し、汝の道の開けたればなり!』

    「天上のものも、地下のものも、すべてが一つの讃美の声に溶け合って、生きとし生ける者が声を合わせて、『主よ、汝は正し、汝の道の開けたればなり!』と叫ぶとき、この宇宙の震撼がどれほどのものであるか、ぼくにはよくわかっているつもりだ」というイワンの台詞より。

    ヨハネ黙示録第十五章三―四節などのパラフレーズされた言葉。

    自分の入場券をつつしんで神さまにお返しする

    イワンの結論。

    シラーの一七八四年の哲学的叙情詩『断念』"Resignation"が起原とみなされている。しかし、この原詩は、ドミートリエフ、だにレフスキー、ツェルテレフら、ロシアの訳詩者によってそれぞれかなり意訳されており、おそらくドストエフスキーが参照したとみられるだにレフスキー訳に「地上の楽園の入場券を、開封せぬままにお返しする」の表現が見られる。
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    誰かにこっそり教えたい 👂
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