-
【22-2】アリョーシャの祈り ~皆に愛と救いが訪れるように
兄と父の金銭問題、三角関係など、アリョーシャの心は不安と悲しみでいっぱいだ。心の支えであるゾシマ長老も死の床にあり、この先どうなるのかアリョーシャにも分からない。長老のかたわらで一心に祈るアリョーシャの姿が印象的な場面。 -
【13-1】 僧院はお前の居るべき世界ではない ~行動の愛こそ魂の修業
カラマーゾフ一家の争いを目の当たりにしたゾシマ長老はアリョーシャに僧院を出て、二人の兄の側に居るよう促す。アリョーシャは動揺するが、俗世に戻り、家族に尽くすことが真の修業であることを教えす。「行動の愛」とは何か、ゾシマ長老の哲学が感じられる場面。 -
【22-1】カチェリーナの自己愛とドミートリイの訣別 ~女の意地は悪魔より強い
カチェリーナはグルーシェンカの手の甲にキスしたが、グルーシェンカはキスを返さなかった事を、アリョーシャから伝え聞いたドミートリイは大笑いし、彼女は自分の夢想に惚れこんでいるのだと断言する。カチェリーナという女性の本質とドミートリイの決意が描かれる重要な場面。 -
【21】 二人の女の愛と意地 ~プライドは愛より強し? 令嬢カチェリーナ
アリョーシャはドミートリイの愛のメッセンジャーとしてカチェリーナの邸宅を訪れ、ドミートリイの謝罪を伝えるが、カチェリーナは愛の終わりを認めようとしない。彼女は事前にグルーシェンカと話し合い、「ドミートリイとの結婚はない」という約束を取り付けていたのだ。しかしグルーシェンカは突然態度を翻す。 -
【20】 蛇が蛇を食い殺すだけ ~他人の死を希望する権利はあるのか?
グルーシェンカが父と逢瀬していると思い込んだドミートリイはカラマーゾフ家に乗りこみ、フョードルを激しく殴りつける。このままでは殺人が起きるとアリョーシャは恐ろしい予感に震えるが、イワンは心で思うのは自由だと「他人の死を希望する権利」を肯定する。果たしてそれは許されるのか。 -
【19】「神はあるのか」「いいえ、ありません」「イワンのほうが正しいらしいな」
カラマーゾフ家に帰ったアリョーシャをフョードルは歓迎し、イワンとテーブルを囲んで歓談する。「神はあるのか」という有名な問答をキリスト教の『復活』に喩えて解説。イワンとアリョーシャの違い、現実主義者のフョードルの知性が感じられる名場面。 -
【18】 スメルジャコフと悪魔 ~ 無神論と反キリストの違い
調理係のスメルジャコフは不幸な生い立ちから拗けた人間に育つ。忠僕グリゴーリィは信心深い子に育てようとするが、屁理屈ばかり並べて、聖書の言葉を素直に受け取ろうとしない。「悪魔=誘惑する者」のスメルジャコフの内面と信心の本質について語られる場面。 -
【17】ドミートリイの告白 ~3000ルーブリをめぐるカチェリーナの愛憎とフョードルの金銭問題
フョードル殺しの発端となる3000ルーブリの使い込みと、カチェリーナ&グルーシェンカをめぐる色恋について箇条書きで解説。この経緯が理解できないと物語全体を見失うので頑張りましょう。随所に差し込まれるギリシャ詩などの意味を江川卓の注釈を元に解説。 -
【15】 忠僕グリゴーリイ『好色な人々』の真摯な生き様 / 性も含めて一人の人間
カラマーゾフの兄弟の登場人物は揃って『好色』とされるが、ドストエフスキーは性を揶揄するのではなく、人間から切り離せない生きる力として描いている。科学の発達した現代と19世紀の性に対する考え方についての考察。 -
【6】 僧院の『薔薇の谷間』とゾシマ長老の女好き ~薔薇は何を意味するのか
父フョードルと長男ドミートリイの金銭問題を解決するため、高徳の僧ゾシマ長老の仲裁の元、家族会議が開かれるが、僧院に到着するや否や、さっそくフョードルの下品な物言いが始まる。フョードルが揶揄する『薔薇の谷間』について、江川卓の≪謎解き≫を元に解説。